チエと和男

出 版 社: 国土社

著     者: 丘修三

発 行 年: 1998年11月

チエと和男  紹介と感想>

小学三年生のチエの哀しみについて、どこから話を始めたら良いのかと思っています。子ども時代に、家族に不幸があって、辛い日々を送らざるを得なくなることは稀にあることです。小学校の教室を見渡せば、そうしたことが同級生に降りかかっていたケースがいくつかあったことを思い出されるのではと思います。その不幸が自分にふりかからなかった幸運な子どもたちは、そうした運命を享受している子にどんな視線を向けたら良いのだろうと思います。この物語は、チエの同級生である京子の主観から描かれていきます。不遇な状況にあるチエを浮かびあがらせるのが、京子の視線です。この辛い状況を、チエはいったいどう感じていたのか。その痛みや悲しみを、京子と同じように読者も想像するしかないのですが、目を逸らさず、まなざしを向けることで共有できることがあるはずです。自分も子ども時分に家族に不幸があったのですが、当時のことを、あまり良く覚えていないというのが実際です。未だに客観的に語れることでもないのです。悲しみを口にすることもなく、黙って怒りだけを抱えているチエの姿に感じるいたわしさにはやや共感もあります。そして、自分よりもっと辛い目に遭っていた同級生たちに、結局、何もできなかったことの後悔も浮かんでくるのです。子どもが子どもを力づけることができるのか。そのこと自体に懐疑的でもあるのですが、 希望を持ちたいと思います。この物語が書かれたのは二十世紀の終わりで、現代(2021年)ほど、子どもにメンタルケアが施されている時代ではありません(自分の子ども時代などさらにそうです)。孤立無援の中で闘い続ける子どもたちを力づけ、支えるものとはなにか。自分の無力さを思い知らされながらも、それでも誰かに寄りそえる力を持ちたいと思える、願いと祈りに満ちた一冊です。

チエが変わりはじめたのは、お父さんのことがきっかけだと京子は考えています。一、ニ年生も頃から同じクラスだった京子はチエと仲良しでしたが、三年生になって、チエが変わってしまったことを感じていました。自動車にひき逃げされて、入院したチエのお父さんは意識が戻らず、植物人間のような状態で、寝たきりのまま回復する見込みがない状態でした。明るくて元気で勉強も好きだったチエは、次第に無口になり、服装は汚くなり、頭もボサボサになっていきます。三年生になって、今までの優しかった上田先生から代わった、新任の若くてきれいな木下先生は、不潔なチエに冷たくあたり、そのことが、チエへのいじめを引き起こすようになります。同じクラスの和男は、父親が市議会議員でPTA会長でもある裕福な家の子ですが、横暴で、チエのことを「ハエ」や「ゴキブリ」と呼び、執拗にいじめ続けます。みんなが見て見ぬふりをするなかで、京子もまた何もできないままでいました。そんな自分をひきょうだと非難するような目でチエからにらまれたことで、京子もまた傷つきます。派手な化粧をして飲み屋で働いているお母さんにお金を渡されて、チエが弟や妹を連れてお弁当を買いに行く姿が見かけられたり、お母さんが朝から若い男とパチンコに行っているなどの噂も京子に伝わってきます。そんな折、意識が戻らないままチエのお父さんが亡くなります。それでも相変わらずチエをバカにし、死んだ父親のことも「植物人間じゃあ、生きていたってしょうがない」という和男の言葉についにチエがキレます。殺してやると言いながら、とがった鉛筆を和男に突き立て、怒りをこめて「あいつの親父が、父ちゃんを殺したんだ」と告げたチエの言葉は大きな波紋をよぶことになります。ここまでも、かなり凄い展開であるのですが、この先の急展開にはさらに驚かされるはずです。

物語は、いじめる側の和男の事情も照らしだします。和男の家には、チエの父親をひき逃げした真犯人は和男の父親だという脅迫電話が頻繁にかかってきていましたが、和男は、根も葉もない言いがかりだと思っていました。そのことが、和男がチエをいじめる動機でもあったのです。ひき逃げの犯人はすでに自首しています。和男も父親を信じていました。しかし、事件の真相を和男は父親の逮捕という形で知ることになります。この時、和男の胸に去来した悲しみと怒りは大きく、暴発することになりますが、自分がいじめ続けてきたチエに対して、和男はどんな気持ちを抱いたのか。実にやるせ無い物語です。チエも和男も、京子と学校のみんなの前から姿を消すことになります。和男がチエに詫びて赦しを乞うような陳腐な展開もここにはありません。京子もまたチエを守る味方になれなかった自分を責め続けます。悲しみが子どもたちの心を覆い尽くしています。やっぱり悪いのは先生だよなあと思いもしますが、先生が特定の生徒に親身になってくれるという幸運に期待することも難しいでしょう。物語の終わりに京子の胸に去来するのは、どうにもならないこの世界の悲しみの中で、それでも自分が友だちの味方になり、寄りそいたいという願いです。作者のあとがきには、読者である子どもたちに向けて、いじめられている人の側に立って、いじめをなくすために動いてほしいと、熱く綴られています。『暴力や正しくないことがまかり通るのを、あなたはゆるせますか。私はゆるせない』。そんな強い意志で描かれた物語に、胸を揺すぶられます。また特筆すべきは長谷川集平さんの挿絵の素晴らしさで、チエの見開かれた瞳が語るものは饒舌でした。