出 版 社: ポプラ社 著 者: いとうみく 発 行 年: 2018年12月 |
< トリガー 紹介と感想>
幼稚園や小学校の時に自分が言ったことや、やったことをいい大人になってもずっと気にしているというのは、もはやなんらかの診断名がつく症状です。まあメンタルを病んでいます。数十年経過していても、あの時のアレはまずかったなと後悔に苛まれている。自分が恥ずかしい思いをしたぐらいならいいのですが、人を傷つけたことは飲み込みようがないし、子どもがやったことだから、というエクスキューズは自分には適用できないものです。で、自分はダメな人間だと再認識してばかりいる。自分もそういうタイプですが、こういうループにハマる人とハマらない人がいるそうです(脳の構造の問題らしいです)。気にしない人を羨ましいと思うかどうか。実のところ、後悔している出来事は、自分がたまたま覚えていることだけであって、そんなのは氷山の一角なのかも知れません。つまりは程度の問題で、自分もまた大概のことは忘れていて気にしていない一人なのではないか。となると傍若無人だったオレ様が、過去にどれだけ人を傷つけていたかなんて、考えてもしょうがないので、今日から、いい人になろうというのが発展的解消法でしょう。とはいえ、そんな痛みを胸に秘めてこその人生だなとは思うのです。だからこそ見える世界もあります。本書では、主人公である中学二年生女子の音羽(とわ)が、本筋の進行に関係なく(いや、ここが巧みなのですが)、時折、小学生の頃の自分が「やらかしたこと」を思い出して憂鬱になるインサートがあります。気にしすぎ、なのです。これが文学的表現として絶妙であり、物語のハーモニーを深めていく効果をもたらしています。こうした微妙に内省的なタイプの子が、親友の事件をきっかけに、少し、心持ちが変わるという成長譚です。この物語で大いなる心のドラマに翻弄されるのは、音羽ではなく、友人の亜沙見(あさみ)です。音羽はただサポートする役回りなのですが、静かな回復と再生は音羽にももたらされます。そんな絶妙な実に目の詰まった児童文学作品です。
このところ友人の亜沙見の元気がなく、様子が少しおかしいことに音羽は気づいていました。やたらと死を意識したようなことを仄めかす。そんな亜沙見をやや疎ましく思う気持ちが音羽にはあり、ついはぐらかしてしまうのです。その一方で、そんな自分自身へのいらだちも音羽は感じていました。以前は音羽が引け目を感じるほどに正義感が強い毅然とした子であった亜沙見。彼女が元気を失くしてしまったのは、仲の良かった歳の離れたお姉さんが病気で亡くなってしまったからです。そこからまだ立ち直れないのだろうと音羽は思っていました。あまり深入りすべきではない。悲しみを埋めることは自分ではできない。そう感じていた音羽ですが、午前0時過ぎに亜沙見の母親からかかってきた電話で、亜沙見が行方不明であるという事実を告げられ驚きます。亜沙見は本当に死にたかったのか。音羽は心配に苛まれます。失踪から三日後、音羽はついに亜沙見を見つけます。そして、彼女の口から、失踪に至った理由を音羽は直接、聞かされることになります。それは、なぐさめることも、励ますことも出来ないし、正直、どう言って良いのやらよくわからない複雑な「家庭の事情」と「出生の秘密」でした。信じていたものが全て覆された亜沙見の動転する心境に相寄りながら、音羽は自分の物思いに沈んでいきます。死を口にする亜沙見を前に、友情や絆を全開で信奉できない自己不信のある音羽は、ここでどうふるまったのか。運命に翻弄される友人を見守る、等身大の音羽目線の物語が、現代の中学生の友人関係の新しいステージを描き出します。
人とは距離を置いてつきあいたい。親しくしていたとしても、踏み込みたくない一線があるものです。親しい友だちであり続けるためには、程良い距離感が必要です。親友と肩を抱き合って泣き笑う、なんて腹蔵のない付き合い方には抵抗を覚える方も多いでしょう。できればカミングアウトなどして欲しくない。一方で、そんなふうに全開の友情を避けてる自分を冷淡だと思うかも知れません。なんだか後ろめたく感じてしまう。ただ、人への寄り添い方は人それぞれです。これを端的に言うと、スープの冷めない距離が大切だということです(ちょっと用法が違うか)。もっともそんなふうに割り切ることが難しいのが、友情幻想がある年頃というものでしょう。やはり親友と肩を抱き合って泣き笑うことに憧れる方がスタンダードなのだと思ってしまう。音羽が友情を信じきれないのは、自分が小学生の時に友だちを裏切った経験があるからです。もちろん反省も後悔もしています。そのことが、音羽に自己不信を与えています。少し、器用に人間関係をこなせるようになった中学生の日々に、今度は友人の「深刻な問題」という難題が降りかかります。その契機は音羽に何をもたらしたのか。問題の当事者ではない主人公という設定が光ります。ノーガードでフルコンタクトの友情ではないからこそ、人を客観的に理解して、長く付き合い続けるための間合いを見つけられるのではないか。とはいえ、人に相寄り支えたいという気持ちのベースがあっての物語です。ナチュラルな善意が心地良く通底しています。主人公が自分の心の闇を中和して、成長していく軌跡を感じとれる好編です。友情は一筋縄ではなく複雑に絡みあっているものです。そんな心の綾を紐解く見事な物語です。