推し、燃ゆ

出 版 社: 河出書房新社

著     者: 宇佐見りん

発 行 年: 2020年09月

推し、燃ゆ  紹介と感想>

YAや児童文学を中心に読んでいて一般書を読む比重は低いのですが、話題作は気になります。主人公が十代となると、やはりYA観点で読み進めてしまい、YA的ではない展開に慌てふためいたりします。本書と同じく芥川賞受賞作品で、十代を主人公にした歴代の作品というと『蹴りたい背中』や『赤頭巾ちゃん気をつけて』が思い浮かびます。このあたりの作品ならYAとして読み解くこともできるかなと思っています。『オキナワの少年』なら児童文学的に。『されど我らが日々』や『僕って何』などの学生運動時代の大学生は現代のYA世代の心境とは距離があるし、バブル期の『至高聖所(アパトーン)』はどうだったかなどと思い出しています。以前に読んだ本も、YAや児童文学読みの視座で読むとまた違った感触があるだろうし、その観点で、いつか再読したいと考えています。そういった意味で本書『推し、燃ゆ』は同時代のキーワードである「推し」にスポットを当てたティーンの衝動を描く物語であり、アイドルに夢中になる高校生女子という主人公もまたYA世代には親近感があるものと思います。これもまた青春のはずなのですが、主人公の心の深淵にあるものが非常に不穏で、人間存在の根底にアプローチしてしまうあたり、YAというよりは文学の領域の作品であることを意識させられます。「推し」を「推す」ことに自分の全勢力を傾ける。それ以外に自分の存在意義を見出せなくなった十代の主人公の自意識。YA的な青春の葛藤とは別次元の存在不安と、そこからの救いや、生きる悦びについて考えさせられる怖い作品です。第164回芥川賞受賞作。

十六歳の高校生女子あかりが推しているのは、アイドルグループ「まざま座」のメンバーとして活躍している上野真幸。彼の姿を見ることで、あかりにはエネルギーが湧き上がり、生きるということを実感できます。あかりのスタンスは「推し」であるアイドルに近づきすぎず、彼を「解釈」し語り続けること。彼が感じている世界を感じとることが、あかりの推し活動でした。だから「推し」である彼が起こしたファンの女性ヘの暴力事件をどう捉えるべきか、あかりは考え続けています。SNSの炎上騒動にどういう感情を抱けば良いのかわからないまま、ただ推しを推すことに力を注いでいきます。理由などなく、ただその存在が好きだという想いを、あかりはブログに綴っていきます。新曲が出るたびにCDを飾り、ライブに通うためにアルバイトでお金を貯める。他のことにお金を使うこともなく、苦行のように推しを推すことだけの生活に、研ぎ澄まされたものを感じていく、あかり。実際、彼女は他のことがなおざりになっていきます。人との相互の関係性を求めず、一方的な思いを募らせていくだけの日々。それでもあかりにとっては満ち足りたものだったのです。炎上事件で人気が落ちた推しを支えるため、人気投票のために五十枚のCDを買う。もはや生半可な気持ちでは推しを押せないと、あかりの気持ちはエスカレートしていきます。そんな折、あかりは推しの配信で、グループの解散を本人の口から告げられます。記者会見での芸能界引退発表と結婚の匂わせ。立ちすくむ、あかりはここからどうするのか。推しを推すことに身を削って注ぎ込む。最後のライブにあかりは自分の持つすべてをささげようと決意します。

憧憬や思慕といった感情は美しく絵になるのものの、依存や偏執となると、不穏なものを感じざるを得ません。本書の主人公、あかりは「推し」を陰で支えて、自分は透明な存在でいたいと考えるタイプのファンです。「推し」に自分を認識してもらったり、ましてや恋愛したいなどとは思わない。匿名でいたいという、いたって純粋なファンだとも言えます。一方でその思い入れの強さの裏には、自分の「肉の重さ」に対する嫌悪や存在不安があります。自分を軽くするために誰かに夢中になる。主人公はリアルライフを充実させることへの関心が持てず、次第に「推し」を推す以外の生活が疎かになっていきます。学校をドロップアウトしてしまうことも極端な話ですが、そのひとつです。ここにはやや病的なところが見受けられます。実際、彼女はそうした診断を病院でくだされてもいます。自分も慢性鬱状態で、不安が募る時ほど、逆に活動的になるのですが、そこには不安を紛らわせたいという気持ちが強くあり、少し共感めいたものを抱いています。この作品の不気味さを醸しているのは、主人公が思い入れるアイドルが「推し」という仮称で語られ続けることです。これが個人名であったらまだ腑に落ちるのですが、「推し」という代名詞は特定の個人というよりは、主人公が自分を投射した何かであることが感じられ、やはり心の歪みを意識してしまうのです。魂の渇望が「推し」を推すことで癒され、なんとかバランスを保っていられる。「推し活」推奨の昨今の風潮は、単に消費活動の振興だと思いますが、そこに病理との薄い皮膜を意識させられると、まあ、ぞっとしません。これは時代の病理ではなく、パーソナルな病状の発露です。健全でも健康でもない。それでも人が生きる営みなのです。胸をはってもいいはずなのです。幸福に満たされたいと思いますね。