魔女と花火と100万円

出 版 社: 講談社

著     者: 望月雪絵

発 行 年: 2020年07月

魔女と花火と100万円  紹介と感想>

人にわかりやすく説明するぐらいなら、何も言いたくない。なんて態度は実に青いのだけれど、共感を求めながらもへつらわないというのは、ひとつの生き方のスタイルだろうと思います。それでもって、大人はわかってくれないと嘯けば、若者としては上出来です。そんな鼻っぱしらの強さこそが若さです。ところがそういうスタイルはけっこう損をします。というか結果が出ません。最大の効果を出す為には、ちゃんとわかりやすく説明することが大切です。理由なき反抗ではなく、理由を説明すれば反抗する必要はなくなるのです。そこがポイントのひとつです。これによって、結果的に損をしなくなります。本当にそうなのか。実は、僕は歳をとるごとに、人は話してもわからないということや、本質的には理解し合うことがなどないのだと考えるようになりました。それでも表向きの協調はできるもので、社会生活は無事に送れるのですが、まあ寂しいものですね。ということで、子どもにはあまり急に大人になって、分別を持って欲しくないというのが正直なところです。この物語では、子どもが、大人びていく季節が描かれます。大人びることで、大人と対等に交渉のテーブルにつけるようになります。とはいえ、子どもと大人のあわいで、自分を持て余しているぐらいが良い塩梅ではないのかなと。大人になることは実際、つまらないことだと、大人のキャリアを積むほどに思っているので、わりと複雑なのです。ということで、この作品が描く、子ども時代の迷走の落としどころについて、かなり考えさせられています。あるいは、その解決前夜の迷走が繫ぎとめられているところが魅力なのかも知れません。

長根市立長根中学校。「生徒の向上心と自主性」をスローガンとしているのは伊達ではなく、有志が集まれば新しい部活を創設して良いなどリベラルな校風の学校です。それなのに、全校集会で先生から告げられたのは、十一月の文化祭を今年を最後に来年からは開催しないという通告です。理由は「予算とか時間とか」などと全然ハッキリしない説明。とはいえ、文化祭はさして盛り上がるイベントではなく地域研究をして発表するだけのつまらないもの。生徒のクレームは、文化祭に乗じてサボれなくなることへの後ろ向きなものです。二年生の杏にとって、それは特に問題ではなく、むしろ彼女は、そんなことでクラスに喧騒が起きることを聞いていたくない、というデリケートなタイプでした。自分の意見はなく、人に話を合わせて、大人しくして、文句など言わない。ただ地味な子。それが杏の学校での立ち位置です。かといって何も思わないわけではないのです。そんな自分自身のスタンスについてもまた、心の中では思惑が渦巻いている。唯一の楽しみは、自分の周りの世界をファンタジーに塗り替える想像をすること。その空想をノートにも綴っています。ところが、そのノートを同じ学校の二年生、生徒副会長で県の絵画コンクールで優秀賞をとった個性的な子、成田君に見られてしまいます。弱みを握られた杏は、成田君が進めている文化祭を継続させるプロジェクトに参加させられることになります。そこは、学校でも個性的な子たちが、もうひとつの別の顔で、自分の能力を発揮している場所でした。文化祭の予算がないというのなら、継続させるために100万円を稼ぎだす。成田君のかつての文化祭への思い入れと、大人への反抗心。その挑戦に杏も巻き込まれていきます。やがて仲間たちとの関わりあいの中で、杏は次第に自分がどう振る舞っていくべきなのかを考えるようになります。

遠慮しがちで誰にも自分の意見を言うことができない。必要以上に気を使っている。悪くいえば、杏はずっと人の顔色をうかがっているような子です。母と子の二人暮らしの生活でも、母親を気づかい、なるべく面倒をかけないようにと心掛けているのは、両親の離婚の原因が自分にあるような気がしているからです。そんな杏が、学校で個性を発揮しているような、派手な子たちの内面を知ったことで、少しずつ自分を解放し始めます。そして、自分の意見をどう通したらいいのか、そのこと自体を学んでいきます。ここには学校という場所の閉塞感があります。地味な杏と、秘密プロジェクトの仲間の一人でありクラスの中心グループの派手な高木さんとが学校で親しくすることもまた越えられない壁。先生は話を聞いてくれないし、ちゃんと説明もしてはくれない。かといって、予算がないというのなら、お金を貯めて突きつけよう、というのは、実に短絡的です。ちゃんと話をすることで、紐解かれるものがある。感覚的にダメだと思って、人の気持ちを聞かず、思い込みで迷路に入り込むのは、思春期の暴走です。杏たちは、冷静に作戦を詰めていき、先生との話し合いのテーブルへと向かいます。そして先生方がちゃんと説明してくれなかったのは、実は生徒たちを傷つけないための配慮であった、というのが、この閉塞した学校空間を読み解くヒントにもなります。国内児童文学作品ではおなじみの「いびつな配慮」は、事なかれ主義でもありますが、人を気遣う優しさかも知れず、いや面倒を避けたいだけなのか、その真意がはっきりしないもどかしさがリアリティのある空間を紡ぎ出すものです。空想の世界の中で大魔法使いアリサを崇拝していた杏。憧れの魔法や空想の世界から、ようやく一歩踏み出していきます。両親との新しい関係性を杏が覚悟を決めて見出していくことも、この成長物語が描く大きなステップです。唯我独尊の成田君をはじめとして、杏が仲間となる生徒たちのどこかアンバランスなスタンスが魅力的です。達観しているようで子どもっぽい短絡もある。そんなふうにアンバランスでいいいと思うのです。文化祭のためにお金を稼ぎだすプロジェクトは途中で頓挫しますが、どこか『宿題ひきうけ株式会社』の興亡を思い起こさせるところがありましたね。