ナシスの塔の物語

出 版 社: ポプラ社 

著     者: みおちづる

発 行 年: 1999年02月


ナシスの塔の物語  紹介と感想 >
可哀相な生い立ちの青年、トンビ。育ての親に死に別れてからは一人で丘の上のボロ家に暮している。もうすぐ三十歳になろうというのに、ろくに言葉もしゃべれず、いつも空を見上げては、とんびを探している。ひ弱な痩せこけたその身体で、石を運んで、丘の上に積み上げていく。一体、なんのために。町の人々は、彼のことを馬鹿にする。心優しい彼は、馬鹿にされても、ただ、丘の上に石を積み上げて、物見の塔を造り続けている。いつか、誰かの役に立つ。その日のために。一心に良い石を選び、石大工の勉強をしているトンビ。大工仲間からは侮られ、友だちもいない。ああ、トンビのことを思うと、なんだか切なくなってしまいます。弱くて、グズで、誰の役にも立たない。なんのために生きているのかわからない。誰しも、自らを卑下して、そんなことを思う夜があるかもしれないけれど、自分の無力を知っている人は、こうした青年をいたわしく思うことでしょう。でも、哀れんではいけない。トンビは「自分の塔」を持っているのだから。誰しも自分の塔を積み上げながら生きている。それは、他の人の目には見えないものかも知れない。見えたとしても、なんの役にも立たないと思われるかも知れない。それでも、石を積み続ける。それが生きていくということなのかも知れません。いつか、この塔が役に立つときがくる。その時のために、石をひとつづつ、積み続けるのさ。のさ。

パティー(パンみたいなものでしょうか)職人の息子、リュタは、現在、修行中。まだまだ見習い。かまどの火を起こすことも叱られながら。なんで父さんは、こんなに厳しく僕を叱るんだろうと思う。今日も火ぶくれを作りながら、学校に通うリュタ。いまだにパティーの生地にも触らせてもらえない。一人前の職人になるには、長い時間がかかります。生地をこねるには強い力がいる。空気を生地にとりこんで、美味しくふっくらとしたパティーをつくる。そのために職人は強い力を持った身体が必要。それこそ、下働きの時間が養ってくれるものです。でも、リュタには、そのことがわからない。もっと簡単に火を起こし、生地をこねることができれば、こんな苦労はいらないのに・・・。一足飛びにその力を手に入れたい。その頃、町で店を開いた「はぐるま」屋は、小さな力を大きく変える不思議な仕組みを売りに出していました。「はぐるま」はブームとなり、町では、この効率的で便利な機械に、多くのものがとって変わられてしまいます。リュタはこの「はぐるま」職人にパティー作りの機械の製作を依頼してしまいます。そして、父さんが培ってきたパティー作りのノウハウも、全部、教えてしまうのです。人が「石を積み続けて塔を作ることの意味」をいまだに知らないリュタは、うかつにも父さんを傷つけてしまいます。そして、悪気はなかったとはいえ、父さんが、自分を立派な職人にしたいと思っていた心も踏みにじってしまうのです。

人は、自分の塔を作り続けている。それは、一見、無駄なことのように思えても、その人が大切に守り抜きたいものなのです。リュタは懸命に自分の塔を作り続けるトンビの姿と、父さんの姿を重ねて思います。弱いもの、役にたたないもの、不便なもの、無駄なもの、そうしたものに意味がないと思っていたリュタ。僕はトンビなんかと違う、と思っていたリュタ。しかし、リュタにもわかるときがくるのです。トンビが黙々と一人で塔を作り続ける姿を、隠れて見つめていたリュタの心にきざした思いはなんだったのでしょう。人は、何を大切にして生きていくのか。リュタが感じていく、人が生きることの意味。痛みを伴う少年の成長がこの寓話的で不思議な雰囲気のある物語世界の中で生き生きと語られていきます。「徒弟物語」の魅力は、理不尽と思っていた修行の本当の意味を知る、その開眼の瞬間にあるのかも知れません。みおちづるさんのデビュー作にして、日本児童文芸新人賞受賞作。あとがきに、この作品を書かれるにいたった、みおさんの心境が語られていて、それがまた作品に奥行きを与えてくれます。徒弟時代の終りに見出されたもの。作者の思いもまた、深く感じ入るところのある作品です。『やくに、たたなくない』、トンビの言葉が胸に温かく灯ります。そう、どんなものも、どんな時間も、役に立たない、ということはないのさ。ねえ、リュタ。