出 版 社: 白水社 著 者: トニー・アボット 翻 訳 者: 代田亜香子 発 行 年: 2007年06月 |
< ファイヤーガール 紹介と感想 >
YA作品に「ガール」もの、というサブジャンルがあるのかどうかわからないけれど、あの心に淡い痛みを残してくれた『スター☆ガール』や『アグリーガール』との共通点があるとすれば、この作品もまた「ガール」を見つめる、ちょっと気弱な男の子の視点から語られるところかも知れません。優しく繊細な視線は、あの時間にすれ違った「彼女」が「どのようにあったのか」という記憶を物語ります。あの「ガール」たちは「生き難い場所」であったはずの学校の中で、どのように過ごしていたのか。男の子の心に人生がひっくり返るような大きなインパクトを与えた彼女。今、語られるのは、客観的な事実関係ではなく、ひとりの男の子が心に宿した特別な存在である「彼女の思い出」であり「大切な記憶」なのです。男女の恋愛ではなく、むしろ人間として心を寄せる真の友愛がここにあります。主人公の心の中の、あの女の子の思い出を一緒に読んで欲しい。誰ともなく、そんなお願いをしたくなるのです。
「ファイヤーガール」、ジェシカ・フィーニーは、トムのクラスにやってきた転入生。そして、ほんの数週間でまた転校していってしまった女の子です。先生は転入してきた彼女をクラスに紹介する前に、ひとつの注意をします。ジェシカを迎える前に「心の準備をして欲しい」と。彼女は「事故」に遭い、おそらく誰もがこれまで見たこともないほどの大ヤケドを負っているというのです。顔面が崩れ、生きている人間とはとても思えない仮面のような顔と、こわばった身体をした少女は、ク ラスに紹介され、小さな声で挨拶をすると席につきます。誰もが沈黙してしまうような空気をその場に残して。気弱な少年であるトムは、彼女を見て、どうして良いのかわからなくなります。「あの転校生のヤツはキモイ」と、ストレートな言葉を吐き出すのは同じクラスのジェフ。友だちの少ないトムは、偽悪的で気まぐれな態度ばかりのジェフに、いつもは従わざるをえない、そんな友人関係を結んでいます。ジェフのようにジェシカのことをひどく言わないまでも、遠巻きに見守り、噂をするだけ。誰も声をかけることができないクラスの雰囲気の中で、それでもトムはジェシカに関心を寄せていきます。「彼女を助けてあげなさい」と、慈しみ深いトムの母親は彼に言います。善意をストレートに表現することが難しい教室の中で、果たして、トムはどのように彼女に接することができたのか。やがて転校していった彼女に、トムは結局、なにができたのでしょうか。寡黙なジェシカの心の中が垣間見えたり、強がり、ワルぶってはいるけれど、寂しさや、どうにもならない不満を抱えたジェフの気持ちが伝わってきたり、クラスの利発な少女であるコートニーだけがトムのジェシカに対する孤軍奮闘を見ていてくれたり。けん制したり、恥ずかしがったり、偽悪的にふるまったり、素直になれなかったり。日本で言えば、中学一年生である彼らが作りだす場所は、優しさに満ちあふれた空間にはなりえないけれど、そんな中で、わずかに触れ合う気持ちのスパークが、かすかな希望の光を放っていたことを感じられる、いたわしい作品です。
「可哀相なもの」への拒絶反応があります。「可哀相で見ていられない」「見たくない」。自分ではどうしてあげることもできない運命や悲しみに対して、無力さのあまり、距離を置くしかない状態。『はせがわくんきらいや』のように「きらい」という言葉を吐きながら「仲間として一緒にいる」ことは、かなりハードルの高いことなのかも知れません。距離を置かれる当事者は、正面切って悪態をつかれることもないまま、ゆるやかに無視され、「可哀相な人」という場所に、ただ置き去りにされる。その痛みや苦しみを思います。ハンデキャップを背負った少年と友人たちを描いたYA作品『僕らの事情。』では、どうにもならない運命の悲哀に失望し続けながらも、それでもひとつの幸福な関係性を提示していたと思います。しかし、無力なままなにもできない心が、距離を置き、けん制しあっているのが、子どもたちの「どうして良いのかわからない」途方に暮れた姿で、そこから一歩も先に進めないというのが現実に近いのかと思います。この作品でトムができたことはごくわずかなのですが、そのささやかな一歩でさえ、なかなか踏み出せるものではありません。トムが目をそらさなかったことをジェシカがどう感じていたのか、そしてそのトム自身の苦闘をコートニーが見ていてくれたこと、それがトムに伝わったことの意味を、とても深く感じ入ってしまいます。感慨深い作品です。実に良かったな。お勧めの一冊です。