出 版 社: 求龍堂 著 者: アンドリュー・クレメンツ 翻 訳 者: 坂本貢一 発 行 年: 2005年04月 |
< ミエナイ彼女ト、ミエナイ僕。 紹介と感想 >
爽やかで、甘く、照れくさくなるような読後感の残る作品です。てへ、という感じです。題材自体は、結構、キワモノで、主人公の十五歳の少年が目覚めると自分の身体が透明になっていることに気づくところからはじまります。つまり「ある朝、目覚めると私は・・・」というパターンで「透明人間」になっているという荒唐無稽なお話。そういう突飛な物語でありながら、きっちりとヤングアダルト作品の成長痛を味あわせてくれて、読み終えた後に、嬉しい気持ちにさせてくれるのは、この作品に、いろいろな形の愛情があふれているからなのでしょう。登場人物たちの愛。生きることの幸福をわかちあう喜び。まだ幼い少年と少女の心の通いあいや、両親の心くばり、事件を通して少年が成長をとげて、そして、とても大切なものを手に入れたところで終わるあたり、非常に素敵な作品であると思います。
ボビーは、ごく普通の少年。特に語る特徴もないし、自分自身が誰からも、見られているとは思っていない。特にクラスの中心にいる子たちから見たら、自分なんて目にも入っていないか、見下されているかのどっちだろうと思っているぐらい。そんな彼が、ある朝、目覚めると本当に人から見えない「透明人間」になっているという事態に遭遇してしまいます。あわてて、両親に相談するのは、彼らが二人とも学者だからということだけでもなくて、理屈っぽく口うるさいけれど、ボビーを心配してくれる人たちだから。物理学者のお父さんは、光の屈折や、可視光線の問題や、色々と仮説を立ててみるものの、何もできないまま。結局、今日のところは学校はお休みにしておこう、と相談がまとまります。ところが不幸は重なるもので、両親の乗った車が交通事故に巻き込まれ、幸い大した怪我ではなかったものの、数日間の入院を余儀なくされてしまうというピンチ。いやがうえでも外に出なくてはならなくなったボビー。全身を覆い隠して、マフラーにサングラス。しかし、これではかえって怪しすぎる。まあ、全裸で町を歩くこともいたし方ない状態になってしまうわけです。図書館で、全裸のボビーとぶつかった少女は、アリーシャ。盲目の彼女はボビーの「異質な状態」に気づかず、普通の少年と思い言葉を交わします。ところが、やはり彼女も、自分が会話している相手が全裸であることに気づいてしまうのです。よもや変質者では、と叫びそうとする彼女を止めるため、ボビーは彼女に自分の秘密をうちあけます。こうして、ボビーとアリーシャは親しくなり、秘密を共有することになるのです。アリーシャの父親もまた、天文学者で、二人の父親が頭をつきあわせて、ボビーの状態をなんとかもとに戻そうと努力します。果たして、この怪現象からボビーは救われるのでしょうか。
盲目の少女、アリーシャが素敵な女の子に描かれています。二年前、寝ている間にベットから落ちて、頭を強打し、それが原因で失明してしまった彼女。可愛らしく、かつては学校の人気者だった彼女は、多くの友だちを失うこととなりました。しかし、気丈な彼女はそうした時間に耐えて、同情だけではない、本当の友人を得て、また、母親の重荷にならないように自立できることを目標にして生きています。聡明だけれど、気が強く、ボビーと意地を張り合うアリーシャ。でも、お互いが、信用を寄せ合い、心の中にあるものを見せ合おうとします。「見えない彼女と、見えない僕」の、二人の協力で、問題解決の糸口を見つける大胆な作戦を決行したり、一方では、お互いの気持ちが微妙にすれちがってしまったり。さえない自分は、本当はアリーシャが相手にしてくれるような男の子じゃない、なんて思っている自信のないボビーと、ボビーに普通の状態もどって欲しいと思うものの、その時には障がいのある自分から離れていってしまうことを恐れるアリーシャ。表面では、突っ張りあいながらも、心を寄せ合う二人の、最後に交わされる素直な言葉たちが胸に残ります。悲しいことはある。人の前から姿を消してしまいたいと思うような日が人間にはある。けれど、悲しみにくれるよりも、幸せを胸にあふれさせることがどんなに意味があることかとボビーは気づきます。アリーシャに会いにいかなくては・・・。少し、自分に自信をもつことができた「見えない僕」も、アリーシャの心には、きっと見えるのです。なお、この本には、ページの隅にパラパラ漫画がついています。ちょっとした幸せ、という感じですね。