ユ・ウォン

Yu Won.

出 版 社: 祥伝社

著     者: ペク・オニュ

翻 訳 者: 吉原育子

発 行 年: 2022年03月

ユ・ウォン 紹介と感想>

ごく普通の十七歳の高校生女子ながら、知らない人のいない有名人でもある、ユ・ウォン。それは彼女が幼少期に、マンションの高層階の火災事故から生還した「奇跡の子」だからです。助かったのは、彼女に特別な能力があったからではなく、咄嗟の機転で救ってくれた人たちがいたおかげです。それが少なからず犠牲を伴っている「おかげ」だったことが問題です。本書では、このとても稀有な経験をした少女の心境が語られていきます。事故から11年が経過しているものの、過去の出来事ではなく、11年をかけて彼女に与えられてきたものが、今、彼女を苦しめています。一般的な話としても、多くの人が亡くなった事故で自分だけ生き残った人の心理は複雑なもののようです。事故に遭遇する不運と、それでも助かる幸運は相殺されるものではなく、そこに自分の運命を引き寄せて特別なこととして考え込んでしまう人もいます。村上春樹さんの「地下鉄サリン事件」に遭遇した人たちへのインタビュー集『アンダーグランド』を読んだ際に、自分自身がそうした災難に遭うことを運命として受け入れている人や、助かったことに後ろめたさを感じている人がいることに感じ入った記憶があります。危なかったけど助かってラッキー、とは考えられない複雑な心境。自分が事件を引き起こしたわけではなく、巻き込まれた立場なのに、他の犠牲者を慮り、生き残ったことに罪悪感を覚えてしまう。犯人に対して怒りをぶつけることが出来ず、自分に非を感じてしまうのは、どうしてなのか。誰かの犠牲があった傍らで、自分が生かされたこと。その立場を引き受けてしまったことの苦しみを、本書の主人公、ユ・ウォンも感じています。彼女の立場はさらに複雑で、その心は迷走しています。まずはその事情を詳しく紐解いていただければと思います。実に主人公を大変な目に合わせる物語ですが、思春期の自意識の葛藤が鮮やかに描かれていく優れた作品の愉悦があります。

マンションの上階の住人が投げ捨てた煙草の火が、十一階のユ・ウォンの部屋のベランダで着火し、周辺の部屋にも延焼する大規模な火災を引き起こしました。両親は留守で、部屋の外へも逃れようもない状況で、死を待つばかりだった彼女を、水に濡らした布団に巻いて階下に落とすという咄嗟の機転を働かせたのは、当時六歳だったウォンの十歳歳上の姉、イェジョンでした。さらには投下された彼女を、階下で、身体をはって受け止めてくれた人がいたことで、ウォンは怪我ひとつすることなく生還することができました。ウォンの姉を含め十人の死者を出した大惨事と奇跡の救出劇はマスコミによって報道され、ウォンは「奇跡の子」として、いつも注目されながら育つことになります。自ずと、学校でもウォンは特別な善意の気遣いを受けることになり、逆に同級生と普通の友人関係を結ぶことも難しい状況となっていきます。また、今も周囲の人たちに惜しまれる優秀だった姉の話題が出るたび、その負い目は大きくなります。そもそも助けられる見込みがあって、姉は自分を布団にくるんで落下させたのか。その思惑を想像できず、内憂を持て余しながら、当時の姉の年齢を越えてしまったウォン。その孤独癖は自ら望んだものではないものの、特別視されることに辟易して、ずっと人との距離を置いてきました。そんな彼女が誰もいない学校の屋上で出会ったのが、同じ学年の別クラスの女子、シン・スヒョンです。ウォンの素性について気づいていない様子のスヒョンと、普通の友だちとの関係性を体験していくウォン。スヒョンの弟、ジョンヒョンとも親しくなり、普通の友好関係を深めていきますが、この姉弟と自分にはあらかじめ特別な繋がりがあったことを後に知ることになり、さらに複雑な心境に追い込まれることになるのです。大変なのです、ユ・ウォンは。

興味深いのは、この物語に登場する「おじさん」という中年男性の存在です。このおじさんに、ウォンは非常に苦しめられます。定期的にウォンと家族を訪ねてくる、おじさんは、ウォンの「命の恩人」です。マンションから落下したウォンを地上で受け止めてくれた、通りがかりの人だったのです。ウォンが怪我をしなかった代わりに、おじさんは衝撃で足を粉砕骨折し、完治後も足を引きずる不自由な身体になってしまいました。マスコミから「義人」としてもてはやされ、世間から脚光を浴びたおじさんは、元々、調子が良く、いい加減なタイプの人で、その後、色々な事業にも手を出して失敗を繰り返しています。時折、ウォンの家を訪ねてくるのは、金の無心のためですが、ウォンの両親も娘の命の恩人を歓待しないわけにはいきません。この恩人は、決して悪い人ではないのですが、実に「しょうがない人」です。凋落して、また自分がマスコミに登場したいがために、ウォンを利用しようとする、おじさんを、内心嫌いながらも、やはり負い目がある彼女は、それを表に出すことはできません。おじさんもまた、ウォンのことを、自分の娘のように心配しつつその成長を見守っている、というあたりが複雑です。自分を救ってくれた、姉とおじさんに対する感謝と憎しみ。自分が助かったことで負わされたものに苦しめられるウォンが、友だちとなったスヒョンたち姉弟との関係性から、心を解放していく姿が描かれます。この設定だけでも相当すごいところですが、ウォンの複雑な心境が丁寧に描かれ、自分でもはっきりとしていなかった本心に彼女がたどりついていくプロセスが見事な作品です。話題作を輩出するチャンピ青少年文学賞受賞作品。生きる意味を見失った時に、「生かされていることへの感謝」が肯定的に描かれるのが物語の常套ですが、生かされた苦しみを狭義で捉え、そこから一歩先に進んで、生きる歓びに進んでいくだろう主人公の進行系が実に鮮やかな物語です。韓国YAではお馴染みの受験競争の閉塞感なども相まって、この生きづらい高校生女子の自己回復の物語は、読んでいて実にしんどいのですが、たとえ生きづらくても、今、生きていることの素晴らしさを体感していける未来の可能性がここにあることは嬉しいことです。健やかに大人へと成長していく自分たちの未来をウォンが思い描く物語の終局。姉が自分へと託した願いを受けとめるウォンの姿がこの運命との和解を予感させます。