リマ・トゥジュ・リマ・トゥジュ・トゥジュ

出 版 社: 講談社

著     者: こまつあやこ

発 行 年: 2018年06月

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オリジナリティを尊重しつつも、やはり同じ年に同じ出版社から刊行された『わたしの空と五・七・五』を意識してしまいます。この不思議なタイトルの、リマはマレーシア語で数字の「五」、トウジュは「七」。つまり「五・七・五・七・七」なのですね。『わたしの空〜』は五・七・五の俳句を題材にしていますが、この物語では五・七・五・七・七の短歌がキーになっています。中学校でどうふるまったらいいのか自分のスタンスを決めかねて戸惑っている女の子が、女史然とした先輩に詩歌の世界に誘われるという展開は一緒です。自分自身を再発見して周囲との関係性に自分なりのスタンスを見つけ出す帰結も同じなのですが、そうなると逆に作品の根幹にある「違い」の方に目が行きます。『わたしの空と五・七・五』は文学への造詣など奥深さのある作品で、一方、本作はグローバルな視点があり、横に広い、という印象でした。ボカロやフリースタイルラップで自己表現する中学生の物語もあるのかもしれませんが、心の声を伝える方法として、あえて俳句や短歌など古式ゆかしい表現形式に中学生が目覚める面白さは確実にあります。『わたしの空〜』は俳句に込められたものや文学自体に対するこだわりを感じた作品でしたが、こちらは短歌のコミュニケーションツールとしての側面もフューチャーされています。「贈る」こともまた、短歌ならではであって、そこから生まれるドラマにも惹かれるところです。第五十八回講談社児童文学新人賞受賞作です。

父親の仕事の関係でマレーシアで二年間を過ごした沙弥が日本に戻る上で心配していたのは、自分が「帰国子女」になってしまったことです。小学生の時にマレーシアに引っ越し、再び日本で同じマンションに戻り、以前に一緒だった子たちも通っている公立中学に行くことになった沙弥。「帰国子女」ぶっていると思われやしないかと、いつも人の目を気にしています。そんな彼女を学校の図書室に呼び出したのは、督促女王と呼ばれている図書委員の三年生の佐藤先輩でした。借りた本の延滞を叱られるのかと思いきや、佐藤先輩から「吟行」につきあって欲しいと誘われて沙弥は戸惑います。短歌を詠むためのそぞろ歩きに、何故、自分が付き合わされるのか理由もわからないまま、切羽詰まってマレーシア語を混じえた短歌を作る沙弥。それが意外にも不思議なハーモニー醸していきます。以前に暮らしていた町の商店街を佐藤先輩と「吟行」しながら、沙弥は二年間で変わってしまった同級生の男子のことを思っていました。マレーシアに行くときに印象的な言葉を贈ってくれた藤枝。彼は毎日なぜか給食を食べることをせず、どこか様子がおかしいのです。自分のことを覚えてくれているのかどうかさえわからない藤枝のことが気になる沙弥。そんな藤枝が隠し持っていた秘密と佐藤先輩の行動が繋がっていくあたりも面白いところです。自分なりの短歌を詠むことで、ちょっと変わったタイプの佐藤先輩と心をかわしていく沙弥が、人の目ばかりを気にしている自分自身とも向き合えるようになる展開も清々しいところでした。

日本の女子の小中学校での閉塞感については、近年の国内児童文学で頻繁に触れられるものです。人間関係に拘束されて身動きが取れなくなることも往々に描かれます。沙弥がラッキーだったのは、そんな多感な時期にマレーシアで感性を解放できたことです。色々な人種や信仰を持った人たちが一緒に暮らしているマレーシア。ココナッツミルクで炊いたお米などの一風変わった食べものもある。そんな国で自由を謳歌してきた沙弥だったのに、戻った日本の学校では周囲の目を気にしてビクビクしているのです。彼女を再び解放してくれたのもマレーシアの言葉でした。そのきっかけが短歌である、というのが意外な組みあわせです。自分が海外で暮らすことや、自分の町に外国人が住んでいること。文化の違いをどう受け入れていくのか。そうしたグローバルな視点も現代ではごく日常的なテーマになりつつあります。一方で縛りつけられた学校生活というものがデフォルトにある。広すぎる視野を持つことで「変わり者」になってしまう危惧があります。「変わり者」になることでしか自由になれない社会は歪んでいますが、児童文学はそうした子たちのサイドに立ってくれるものですね。