ハートビート

Heartbeat.

出 版 社: 偕成社 

著     者: シャロン・クリーチ

翻 訳 者: もきかずこ

発 行 年: 2009年03月


<  ハートビート  紹介と感想 >
人生に勝ち負けはない、なんて、どんな顔して言えばいいのか未だにわからないところです。主旨にはおおむね賛同していますが、僕が口にすると、負け惜しみのようにも聞こえるのではないかと危惧してしまいます。目の前の勝負に勝つことと人間の幸福は別次元にあるはずですが、やはり小さな勝負にこだわってしまう。勝っても負けても宇宙的スケールで測れば大差ないのに(こう言いだした時点で負けだと思うでしょ)。競争社会の中で子どもの頃から、それなりに人と競いあってきて、大人になって仕事に就いても、まだ競争や勝負から降りるわけにもいかない、なんて思っている。競走に負け続けても、穏やかに微笑んでいられれば、それもまた人生の勝者。でも、なかなか達観はできないものですね。じゃあ、生きる喜びとはなんなのだろう。負けてしまったら、なにも残らないのか。あらためて、そんな本質的なことを考えさせられる作品です。大切なことなのに、目先のことにとらわれて見失ってしまいがちなもの。生まれてくる命、衰えていく命、そして今、ビートを刻みながら、躍動する命。そんな命の息吹が、散文詩の形式で語られていく不思議なリズムを持った作品です。

アニーは十二歳のランナー。運動部にも属さず、競技会にも出場せず、ただ走り続けている女の子です。はだしで運動靴もはかずに、草を踏みしめ、地面の感触を確かめながら走ることを楽しんでいる。陸上部に入るように勧められもしますが、彼女には、その気はありません。人と一緒に走ることや、競い合うことに意味を感じないのです。自分のペースで好きなリズムを刻みながら、しっかりと走り続ける。アニーのおじいちゃんも学生の頃は有望なランナーだったけれど、ある時を機に大会に出ることを止めてしまいました。このところは大分、物忘れがひどくなってしまって、記憶もさだかではないけれど、おじいちゃんだって走ることの喜びを知っているのです。アニーの幼なじみのマックスは、走ることで今の境遇から抜け出そうとしています。事情はわかる。でも、アニーにはその気持ちがわからない。時には一緒にはだしで走ってくれるマックスのことを大切に思いながらも、相容れない気持ちもあります。ひとつのりんごの絵を100枚描き続けるという美術の課題を通じて、アニーは色々な思いを重ねていきます。なんの変哲もないりんごから、段々と見えてくることがある。一個のりんごの種は多くの命の可能性を秘めている。もうすぐお母さんから生まれてくる赤ちゃんや、緩やかに衰えていくおじいちゃんを思いながら、自分の命の鼓動を確かめていく十二歳のアニー。そのハツラツとした姿と、深い思慮が、りんごとオーバーラップしながら、ひとつの物語を彩って、沢山の美しい絵を見せてくれる作品です。

現実を処理するのに手一杯で、すごく狭い了見になっている時に、本質的なことを問いかけられると、鼻白んでしまうことがあります。「なんのために働いているの?」「人生の目的ってなんなの?」「生きていくことの喜びってなに?」「あなたのライフワークは?」なんて、いきなり聞かれても、日々の心配事には距離がありすぎて、なにを大層なことをと思ってしまうかも知れません。十二歳のアニーは、走ることや、絵を描くことで、ナチュラルに本質にアプローチし続けます。おそらく、こういう子は世俗的な現実の場所では、残念ながら、かなり浮いてしまうのでしょう。他の人が一喜一憂している小さなこだわりとは、違う次元にいる。幼なじみのマックスでさえ、彼女を理解できないところがある。彼女が寂しい思いをしなくて済んでいるのは、同じスピリットを共有できる家族がいるからですね。そうしたつながりや愛情もまた、人生にとっては本質的なものでもある。散文詩の形式で物語られる物語は、多くを説明しませんが、強く語りかけてくるところがあります。シャロン・クリーチのニューベリー賞を受賞したヤングアダルト作品の傑作、『めぐりめぐる月』では、饒舌な会話と、一見、無関係そうな豊富なエピソードなど、複雑な構成による搦め手で核心へと導いてくれました。大胆にスタイルが変わってきたシャロン・クリーチですが、真芯を貫く研ぎ澄まされた言葉で、純度の高い物語を紡いでくれます。

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