羊の告解

出 版 社: 静山社

著     者: いとうみく

発 行 年: 2019年03月

羊の告解 紹介と感想 >

親の因果が子に報いるかどうかについて、ずっと考えています。現代ではナンセンスだと思われそうな常套句ですが、この呪いを意識してしまった時点で応報は始まっている気がします。因果ではなくても、親の悲劇的な運命を自分も踏襲するだろうという予感に苛まれている人は少なからずいるはずです。僕もまた両親それぞれが不幸な亡くなり方をしたため、自分も同じような運命をたどるのだろうという予感があります。遺伝形質の問題だけではなく、人間はそういうふうに行き着くものだと思っているのです。だからこそ、暗い方に引き寄せられないように抗わねばならないとも思います。この物語の主人公である少年の父親は、殺人という過ちを犯します。確信犯ではなく、未失の故意があったわけでもないものの、それでも単なる過失で済ますことができない重大事です。子どもにとっては苛酷すぎる巡り合わせであり、これはだたの偶然ではなく、むしろ必然だったのだと考えたくなるほどです。これが運命でもなければ不合理過ぎて納得できないからです。子どもは親と自分を重ねて、同じ血脈に潜められた未来の予感に苛まれます。この物語は無垢な少年を窮地に置き苦悩させます。辛い話です。子どもが親の罪業を背負う必要はないという正しい読書感想もあると思いますが、あえて、それを背負うことで運命と和解できることもあるのではないかと、僕は思います。「羊の告解」というタイトルから想起されたものは、無垢な魂の慟哭です。失われた命はそれで辻褄があうわけではないけれど、悲しみや嘆き、痛恨などによる激しい慟哭こそが、鎮魂と浄化と救済をもたらす可能性もあります。親の犠牲や身代わりではなく、自分という主体として、この運命とどう和解し共存すべきか。そんなことを考えていました。偏向した感想はこのぐらいにして、以下はわりと真っ当です。

中学三年生の涼平の父親が、ある朝、突然に訪ねてきた警察に連行されるところから物語は始まります。ごくごく日常的な朝の食卓場面はそれで一変します。涼平と母親と七歳下の幼い弟と、そして父親。四人の平凡な生活がここで終わりを告げたのだと気づかないまま、残された家族はただ戸惑います。父親の挙動が不審であったとか、様子がおかしかったとか、なにも予見がないまま、当たり前だった日常がコースを外れていく。うろたえる家族は、なんら説明も受けないまま取り残され、ただ心配し続けるしかないのです。ことの次第がやがてはっきりとし始めます。しかし、知人に暴力をふるい、おそらくは過失により殺害してしまった父親は、面会を拒み、家族は直接、話を聞くこともできないまま、ただ事態の深刻さに震えるしかないのです。子どもたちに優しかった父親が殺人を犯した理由は、おそらくは衝動的なもので、そこに動機は存在しなかったのか。父親からは一切の説明がないため、家族はどう父親に歩み寄ればいいのかさえわかりません。サスペンスのような殺人ではない殺人事件。そして主人公の世界は変わらざるを得なくなります。住んでいた家を離れ、転校し、母親の旧姓を名乗る。そうした生活の変化に加え、殺人者の子どもであることが、涼平の心を苛んでいきます。父親と会うこともできず、心の落としどころも見つからない。自分の素性を気づかれないまま、涼平は転校先で中学生生活を再開していましたが、同級生の女子、戸高の兄が痴漢で警察に捕まるという事件が起き、迫害される彼女に自分を重ね気持ちを動かされていきます。物語は父親の事件を受け入れていく涼平の心の軌跡を描きます。納得することも、水に流すこともできないまま、それを受け入れて、自分を生かさなければならない。贖罪を罪のない子どもが担うということ。重く複雑なテーマを消化するには紙片が足りず、倍の長さぐらいは読み込みたかった作品ですが、ライトにヘビーなものを受けとめることのできる物語ではないかとも思います。

当初は自分のことで精一杯だった主人公が次第に多くを慮れるようになっていくという、題材が題材だけに皮肉な成長物語でもあります。父親のことも、被害者のことも深掘りされないため、失われたものがなんであったのか、読者は主人公目線でしか考えることができません。事件自体の深淵はわからないままです。ただ、この少年の等身大の葛藤が児童文学として描かれることは貴重だなと思っています。多くを知ることができない制約の中で人はもがくものです。現代では連座させることはないものの、精神的な贖罪を加害者家族に求めてしまうことはあると思います。被害者の心情を思えば、加害者家族もまた存分に苛まれるべきかも知れません。なにより加害者家族自身がそう思い、苛まれているのだろうと思います。失われてしまったものを取り返すすべはなく、悩み、悼むことしかできない。そこに一筋でも光明が見えればと願います。国内の児童文学では加害者サイドの物語が描かれることはレアですが、海外作品では加害者として痛恨の思いを抱く主体となる作品が少なくなく、『風をつむぐ少年』のような秀作もあります。本作の主人公の立場はより複雑なのですが、それでも罪を悔い、人を悼むことについて深く考えさせられます。現代の中学生が『罪と罰』を読んでも、おそらくは拍子抜けになるでしょうね。本作のような新しい作品が啓発するところは大きいのではないかと思いました。