出 版 社: 講談社 著 者: 工藤純子 発 行 年: 2023年10月 |
< ルール! 紹介と感想>
本書のレビューをアップし損ねているうちに、佐藤いつ子さんの『透明なルール』が刊行されて、学校のブラック校則を描くルール界隈は、新たな次元へとシフトしてしまいました。ブラック校則が撤廃されても、「同調圧力」という透明なルールによって子どもたちが相互抑制して疎外されてしまう状況は、まるで「市民革命によって圧政者が倒されたが、真の敵は民衆の心の中にあった」というような、より深淵に迫っていく物語への進化を感じさせます。とはいえ、その解決策の落とし所は、コミニュケーション強化の一択であり、関係者が真摯に協議することによって相互理解を得るべきという基本通りです。『透明なルール』は、生徒たちが校則について協議するプロセスを経ないで、突然、理不尽な校則から解放されてしまったがゆえの戸惑いが描かれているのだとも思えます。無血革命は理想ですが、そこにいたる試行錯誤が血の通った新しいルールを作るのだと考えさせられます。ということで、本書『ルール!』が提起したものの意義を再確認させられるところだったわけです。本書は、ブラック校則問題に対して、学校という組織のステークフォルダー(利害関係者)が集まり、協議することの意義を訴える物語です。工藤純子さんは、学校問題を描いたこれまでの作品でも、学校や教育関係者たちの組織的対応に眼差しが向けられてきました。大人の社会的立場を踏まえつつ、それでいて子どもファーストであることが貫かれるのは本書も同様です。子どもと大人。保護者と教師や教育委員会や地域の人たち。学校関係のあらゆるステークホルダーが、対等に同じテーブルにつく。子どもたちにとっては、そこで大人を説得するという試練がありますが、この体験こそが語られるべき物語となるのです。ブラック校則が撤廃されるという成果よりも、意見が違う人間がぶつかりあいながらも共感できることを見出していくプロセスにこそカタルシスがあります。
中学二年生の女子、知里(ちり)は、校外でスマホを使用しているところを、生活指導の三崎先生に見咎められ、没収されてしまいます。返してもらうには、反省文を書いて、職員室で先生の前で読み上げなければいけません。それがこの学校のルールだからです。決まりを守らなかったことは自分が悪いとしても、そもそも校外でスマホを使用することのどこに問題があるのか。もうひとつ腑に落ちないまま、反省文を書き、先生たちの前で読み上げさせられる知里は、自分の尊厳が踏みにじられた ような屈辱を感じ、スマホを返してもらわなくてもいいと宣言します。知里は同じ文芸部仲間たちと、学校の校則の理不尽さについて話し合います。髪形や服装、持ちものなど細かい規定で縛られて「中学生らしさ」を求められているけれど、それが一体なんなのか、何のためのものかは説明されない。ただ抑圧されているだけでなく、そもそも生徒を信用しているとは思えないのです。知里たちは文芸部として、生徒会と連携して校則についての全校アンケートを実施し、さらには「中学生の主張コンクール」の校内予選でこの問題を取り上げます。三崎先生からは叱責されることになりますが、保護者の協力もとりつけて、この問題について、学校全体の協議の場に持ちこむことに成功します。とはいえ、校則改革は容易には進みません。三崎先生にも信念があり、生徒たちが意見をぶつけても、そこで折れることはありません。しかし「中学生らしさ」という曖昧な概念を疑問視する先生たちもおり、丁寧にひとつひとつ擬論を交わすことが、協議に参加する生徒や先生のそれぞれの考え方の距離を明らかにしていきます。学校との話し合いが並行線をたどる中、知里たちは、地域の人たちや教育委員会も参加する地域教育推進協議会にゲリラ的に参加し、自分たちも校則づくりに参加したいと意見を述べます。物議を醸しながらも、少なからずその声は大人たちの心にも触れていきます。それぞれの正しさをぶつけあい正誤を決めることではなく、時間はかかっても協議を続けることで見出されるものがある。より議論が深まっていく未来に希望を託し、次世代へのバトンを繋いでいく物語です。
人を説得するには、熱意やテクニックだけではなく、信頼関係が必要です。穏やかに話ができる関係性が醸成されていなければ、そもそも話など聞いてもらえません。頭ごなしで理不尽な校則の問題を、頭ごなしで理不尽な大人と話をして解決するにはどうしたら良いか。ここで重要なのが、協議の場所での心理的安全性の担保です(これは現代の企業でもコンプライアンス的に重要視されているものです)。意見を頭ごなしに否定されることなく、好意的に聞いてもらえる関係性が必要だということです。本書の中でも『安心して意見を言い合える環境』の大切さが重視されています。ここが保証されないと、ブラック校則が撤廃されても、心理的に萎縮して、同じような隘路に陥ることが見えています。結局は「透明なルール」に縛られる忖度マインドが醸成されるだけでは意味がないことです。本書が興味深いのは、教師側も一枚岩ではなく、多様な価値観を持った大人が働く場所としての学校が描かれている点です。厳しすぎる校則は人権を侵害するという見解も、それでもルールを守る規範意識は大切だという見解もあります。そのいずれかを正解とするのではなく、協議することで成熟していける「組織体」の在り方を提示していることが抜きん出た点です。この物語にも仮想敵として、旧来の学校観を持った教師である三崎先生が登場しますが、子どもたちと協議を重ねていく中で、多少だが譲歩する、という歩み寄りを見せるあたりに現実味があります。『ルール!』に先んじて、中学校の校則の問題を描いた、光丘真理さんの「赤毛証明』(2020年)でも、生徒を厳しく取り締まる一教師と主人公である生徒との対立が描かれました。これは、人がレッテルを貼られ一方的に判断されてしまうことへの心理的抵抗や自尊心の在り方について問いかけた物語となっています。ここでは、教師自身にも校則を遵守させることに複雑な感情があり、互いの気持ちが繋がったことで、校則の見直しという段階へと進むという、ウェットな物語となっています。やや理ばった『ルール!』とは系統の違う物語であり、どちらかが正しいと断じられるべきものではありません。とはいえ、個人と組織との関わりや、ルールそのものの在り方を考えさせる校則の物語は、規範意識自体が変化しつつある現代社会や組織観を反映させなければリアリティを失います。まずは話し合うための、人への好意的な態度や関心の向け方が重要です。学校組織を過小評価することも、人間の善意を信用しないことも、人が話をする場所の安全性を損なう行為です。話せばわかる、は理想論ですが、空論ではありません。イージーにはいかないものですが、あらかじめ諦めていては実を結ばないのです。当事者として自分たちの場所を変えていく勇気を、子どもたちに鼓舞する物語がここに結ばれています。大人もまた自分の固定概念を顧みる点は多いと思います。大切なのは、ブラック校則という問題自体ではなく、そこへ立ち向かう関係者のマインドであり、話し合える組織を成熟させることですね。ともあれ、問題作というだけではなく、この難題に挑む子どもたちの高揚感もまたエンタメとしてワクワクさせられるところで、これもまた挑戦的な冒険であったりするのです。