レモネードを作ろう

Make lemonade.

出 版 社: 徳間書店

著     者: ヴァージニア・ユウワー・ウルフ

翻 訳 者: こだまともこ

発 行 年: 1999年04月


レモネードを作ろう  紹介と感想 >
「絶望」がそこらじゅうに転がっているので、つい足をひっかけてつまずきそうになる。不良がたむろする、乱暴で危険な、いわゆる低所得者層の町。そんな町に育ったラヴォーンも14歳。そろそろこの町からの脱出計画を立てなくては、と考えているところ。大学を卒業して、ちゃんとした仕事に就き、人が羨むような綺麗なオフィスで働く。そうしないと、ジョリーみたいになってしまうんだから・・・。ジョリーは十七歳。両親はいない。親戚もいない。でも、自分の子どもなら、二人いる。子どもたちの父親は、それぞれ違っていて、そして、今は一緒に暮してはいない。彼女は、自分が夜、工場で働いている間のベビーシッターとしてラヴォーンをアルバイトに雇った。「もう、あたし、ひとりじゃやっていけないんだよね」。学校に行っておらず、ろくに文字も書けないジョリー。下品な言葉遣い。部屋の中は汚れ、床はベトベト、台所は洗い物で一杯。洗濯物は生乾きのまましまってしまう。それでも、子どもたちを自分の手で育てようと頑張っている。「福祉」に頼ったら、子どもたちを連れていかれてしまうから。やがて理不尽な理由で、仕事もクビになり、家賃の請求書に脅えるような暮らしをすることになるジョリー。とてもベビーシッターのアルバイト代を払えるような状態ではなくなってしまったけれど、それでも、ラヴォーンは、ジョリーのところへ出かけていく。十四歳のラヴォーンは、この町の「絶望」のかたまりのようなジョリーと過ごしながら、自分自身の将来を考えていく。

ラヴォーンのお父さんは、彼女がまだ小さな頃に、不良たちの喧嘩の流れ弾に当たって死んでしまった。それからは、お母さんと二人で、この町で暮している。お母さんは、ラヴォーンに期待をかけていて、ジョリーとつきあうことを快く思っていない。「お母さん学校」で習ってきたような、文句やお説教。肩をすくめ溜息をつくポーズ。お母さんの考え方に抵抗を感じているラヴォーン。お母さんは、大人の分別をもって、娘と対峙する。ラヴォーンが優先すべきだと思うこと、娘にとって大切だと思うこと、娘がやるべきことを的確に判断する。自分で稼いで大学に進まなくては、と思い、気持ちを逸らせるラヴォーン。64も部屋があるこのアパートには、誰も大学に行った人など住んでいない。自分の子どもに期待をかけ、彼女が進むべき道に進ませたいと思いながらも、経済的支援ができない母親の苦衷。ラヴォーンもなんとなくわかっている。お母さんがどんなに愛情を持っている人なのかも。それは、幼い母親であるジョリーもまた。ジョリーのビクビクとしたおびえるような目。沢山のリアルな重荷を抱えながら、それでも良識のある大人からは「現実を見ていない」と言われてしまう。そんなジョリーを見守る三歳年下のラヴォーンの眼差し。沢山の「言葉にならない」もの、が胸を打ちます。

ラヴォーンの影響で、ジョリーが通いはじめた学校の特別教室で聞いてきた「レモネード」の話は、実に秀逸です。この物語に冠されたタイトルでもあるのだけれど、人がどんな状況であっても、転んでも、くたびれ果ててしまっても、また起き上がれるのだということを、教えてくれます。そう、それでも「レモネードを作ろう」と言えることなのです。感じさせる印象的な文章。考えさせる余白を残した言葉。失意の溜息。どうにもならない現実への怒り。無力であることの哀しみ。汚れた部屋の中で無邪気に遊びつづける子どもたちの明るさ。目に見えるものを、丁寧に写しとる言葉は、目に見えないものも映し出します。書かれていない言葉が、胸に突き刺さる。本当に大切なことは一行も書かれていないのだけれど、わかる。すごくよくわかる。語られない余白に、書いてしまうと陳腐になってしまうかも知れない大切なもの、を見つけ出したい方に。お薦めの一冊です。