炎に恋した少女

fire colour one.

出 版 社: 小学館

著     者: ジェニー・ヴァレンタイン

翻 訳 者: 田中亜希子

発 行 年: 2017年06月


炎に恋した少女  紹介と感想 >
可哀想な人、というのが、主人公アイリスの父親、アーネストに抱いた印象です。まだ物心もついていなかった最愛の娘を連れて、妻のハナはよその男と出ていってしまい、全くの音信不通で手がかりもないまま十数年。母親から、父親は最悪の男で、自分たちは捨てられたのだと嘘を吹き込まれて育ったため、いざ実の父親に会うことになっても、娘には不信感しかない。ましてや、病気で瀕死の状態となっているアーネストに残された時間は、あとわずかしかなく、元妻が娘を連れて戻ってきたのも財産目当てとなれば、人生が嫌になるだろうなと思うのです。だが、そうでもない。それでもアーネストは、アイリスに会えたことが嬉しかったのです。点滴につながれ、昼夜、看護師にケアされながらも、アーネストは娘との貴重な時間を過ごしていきます。意識も朦朧としていて、時折、若くして亡くなった姉のマーゴットとアイリスを混同することもありますが、残された時間を、娘と会話し、心を通わせることに費やしたのです。その成果として、自らの「莫大な資産」と、アイリスを思い続けていた長い時間の結晶を彼女に伝えることもできました。とはいえ、死んでしまったのでは、歓びを分かち合うこともできない。ここが切ないところです。アイリスと過ごせたはずだった幸福な時間が失われたことを考えると、やはり可哀想としか言いようがない。とはいえ、物語の先にある未来は、これからを生きていくアイリスのためにあります。「親が死んでも食休み」という諺を、僕はあえて誤用しながら、時折、噛み締めています。親の死を悼む、その顔をあげて、子どもは自分のために生きていくべきなのだと。親の「可哀想」を糧にしても良いのだと、アイリスにエールを送りたくなる、そんな読後感のある作品です。

可哀想な人といえば、アイリスの母親のハナもそうです。いや、彼女の場合、憐れむべき残念な人というべきか。自分本位で身勝手で利己的で、見栄と体裁のために生きている人。孤独な資産家であったアーネストとの田舎暮らしには飽き足らず、もっと華やかな生活を求めた若く美しいハナは、アイドルあがりの俳優のローウェルとともに、アーネストの元を去ります。おそらくはアーネストの資産を持ち逃げして、行方をくらましたのです。思いの外、ローウェルは俳優として成功せず、それでも派手な社交と瀟洒な生活はやめられず、借金を重ねていく日々。子どものことよりも、鏡の中の自分を見ていることが好きな親たちに育てられたアイリスは、心のバランスを崩していきます。やせっぽちで、自分をブサイクだと思っているアイリス。親の愛情を感じることもないまま、心を閉ざし、唯一、自分を解放できるのは、火を燃やすことだけ。無論、放火癖なんて危険なだけで良いことはなく、むやみに火をつければ大惨事にもなります。今のところボヤ程度で済んでいる、というのが、十六歳になったアイリスの複雑な心の裡です。そんなアイリスを支えてくれたのが、親友であるサーストンでした。路上アーティストである三つ歳上の彼は、俗物であるアイリスの両親とはまったく逆のベクトルで生きていました。彼のアートへの興味や、独自の世界観にアイリスは影響を受けていきます。ただ気まぐれで自由すぎるサーストンは、ケータイすら持たず、普通に連絡をとることができない今どき珍しいタイプ。ちょっとしたことから彼と気持ちがすれ違ったまま、アイリスはカリフォルニアを離れ、実父アーネストの待つイギリスに行くことになります。物語はアーネストの葬儀から始まり、ここに至るまでの経緯が語られていきます。心のバランスがとれていない少女の迷走は、どこに行き着くのか。迷走もまた未来への助走だった、というのは物語のお約束通りですが、そうであって欲しいと強く願います。

アーネストの財産を狙っているハナと、その夫、ローウェルの暗躍が続く中、アイリスはアーネストと話をすることで、少しずつ、心の距離を近づけていきます。このプロセスが見どころです。二人の間には、アートに対する強い興味と共感がありました。実在のフランス人画家、イブ・クラインについて二人が話をすることが、物語の結末への伏線となります。この物語の原題はイブ・クラインの作品のタイトルでもあるのですが、火炎放射器を使って絵を描くなど、その独創的な画風は決して模倣できないものだとアーネストはアイリスに教えてくれます。自分の中の炎を持て余しているアイリスにとって、アートの世界が彼女の扉になる予感がここに生まれます。親子というものは、外見以上に、資質が似ていることがあるかと思います。親がそうした感性を育む環境を作ってくれることもあり、影響を与えられるという言い方が正しいかも知れません。アイリスとアーネストのように、顔を合わせたことさえない親子にも通底するものはあるのか。アイリスはアーネストを直接、知らない頃から、サーストンを通して、アーネストの世界に近づいていました。炎に恋する衝動もまた、父親と共通するアートへの想いかも知れません。アイリスが父親から受け継いだ素晴らしい資産は、物やお金だけではありません。アイリスは生き続け、そして、自分の中にいるアーネストを生かしていくのもアイリス自身なのです。そう考えれば、アーネストも可哀想な人ではなかったよなと、しみじみ思いました。ちょっと感傷的になりながら。