モリー先生との火曜日

Tuesdays with Morrie.

出 版 社: NHK出版

著     者: ミッチ・アルボム

翻 訳 者: 別宮貞徳

発 行 年: 1998年09月


モリー先生との火曜日  紹介と感想 >
ALSという難病。全身の筋肉が足先から不随になっていき、やがて、自分で呼吸できなくなり、全身麻痺の状態になる。しかし、身体の自由を奪われても、精神だけは、しっかりと目覚めている。逆に言えば、自分が死に至る、その瞬間まで、自分の死を見つめなければならないという残酷な病。果たして、健全な精神は、こんな過酷な状況に耐えることが可能なのだろうか。足が萎え、腕が動かなくなり、自分ひとりでは用も足せず、お尻も人に拭いてもらうようになる。モリー先生が患った病は、このALS。対症療法は進行を遅らせる程度のことしかできない。余命は二年の宣告。スポーツコラムニストのミッチは、かつてモリー先生の教え子だった。TV番組で、モリー先生が、この業病に侵されたことを知り、16年ぶりに先生を訪ねることになった。病床の先生は言う。「憐れむより、君が抱えている問題を話してくれないか」。迫りくる死と対峙しながら、生とは何かを最後まで考え続けたモリー先生。ミッチは毎週火曜日、モリー先生と会い、彼の話を聞いた。これは「人生の意味」についての、モリー先生、最後の講義録です。

「さて、どうするか?」。医師から、死に至る病の宣告を聞いたモリー先生は考えた。まず、ブレーキが踏めなくなり、車の運転は終わり。よろけるので杖を買った。これもやがて、車椅子となる。しかし、モリー先生は、あの診療室を出たときから、自分に問いかけていた『希望をなくして消えていくか、それとも残された時間に最善をつくすか』。『めげるものか、死ぬことは恥ずかしくなんかないんだ。死を人生最後のプロジェクト、生活の中心に据えよう。誰だっていずれは死ぬんだから、自分はかなりお役に立てるんじゃないか?。研究対象になれる。人間教科書に。ゆっくりと辛抱強く死んでいく私を研究してほしい。私にどんなことが起こるかよく見てくれ。私に学べ』。その決意をしたとき、モリー先生には、残された人生を輝ける時間にするプランが見えた。自分の排尿を友人に手伝ってもらう。生前葬儀を開いて、友人と家族の弔辞を聞く。そんな「輝ける時間」に、ミッチはモリー先生と再会した。かつて生意気ざかりの学生だったミッチの心を奪った、この真摯でユーモア溢れる人物の精神は健在だった。学校を卒業してからの16年間、ミッチは手痛い挫折を味わった。そんなミッチに、モリー先生は、まるで長い休暇あけのように気安く問いかける。『誰か心を打ち明けられる人、見つけたかな?』『君のコミュニティーに何か貢献しているかい?』『自分に満足しているかい?』『精一杯人間らしくしているかい?』。ミッチはどう答えたら良いのだろう。毎日の時間はふさがっていても、満ち足りた気持ちはない。『もうじき死ぬとはいっても、私のまわりには愛してくれる人、心配してくれる人がたくさんいる。世の中にそう言える人がどれだけいるか?』。ミッチは、先生の最後の講義から何を学んだのか、熱く、胸をしめつけられるような、先生と、たった一人の生徒の講義は進んだ。

ゆっくりと死は近づいてくる。毎日、少しずつ、身体が動かなくなっていく。『ミッチ、私はね、それ以上自分をあわれむことを許さないんだ。毎朝ほんのちょっと。二、三粒涙を流せば、それでおしまい』。悲しみに心を閉ざされてしまうことなく、自己憐憫にも制限時間を設けるモリー先生。ユーモラスで、尊大なところはなく、人生の真理を教えてくれる。物語は、かつての元気だった頃のモリー先生とミッチの会話の回想と、死に向っていく、現在の進行形で綴られる。そして、迎えなくてはならない、最期の瞬間はきてしまう。沢山、沢山、涙ぐんでしまうようなところのある一冊ですが、感傷に流れず、モリー先生の、心の通じ合い、と「愛」を教えていくことが、胸の中に染み透っていきます。本当に大切なことは、有限の時間の中でしか気づくことができないのかも知れない。モリー先生の最後の生徒になるための教科書です。生涯を通じて、いい先生と出会えるかどうか、出会えたかどうか。オトナの皆さんも学生時代をふりかえって、思うところはあるかと思います。モリー先生の問いかけに、どう答えたらいいか。多くを学べ、世界のどんなことからも、誰からでも。年齢なんて関係ない。今、やっていることに誇りを持て。周りのすべてを、自分から愛していこう。そんな風に自分自身を叱咤したくなります。心が弱っているとき、是非、手にして欲しい一冊です。