一富士茄子牛焦げルギー

出 版 社: BL出版 

著     者: たなかしん

発 行 年: 2019年11月

一富士茄子牛焦げルギー  紹介と感想>

タイトルの「焦げルギー」のルギーは、アレルギーではなく、エネルギーです。焦げエネルギーの蓄積によって、この世界が大変なことになる、というストーリーなのですが、そもそも焦げエネルギーって何なの、という疑問がわいてきます。とはいえ、物語の終盤で、焦げルギーについて語られる頃には、すっかりこの世界観にハマってしまっていて、なんでも許容できるようになっているはずです。恐るべし、焦げルギー。ナンセンスを装いながら、芯を穿ち続けるこの物語の核心には、焦げルギーが象徴するものが見えてきます。全てのものが焦げなくなった世界では、焼けているかどうか、外見でわかりません。焦げるエネルギーはどこかに蓄積され、暴発する危機を孕んでいます。これは、血が出ない傷や、涙が出ない悲しみを想起させられます。声の出ない悲鳴、なのかも知れません。アウトプットされないことで、内側に溜めこまれてしまうもの。それは消えることもなく、いつか爆発する可能性があります。やり場のない哀しみをどこにやるか。それが出来なければ、焦げエネルギーが世界を、そして自分自身をも滅ぼしかねないのです。笑って笑って、どうにも泣けてしまう物語なのですが、大いに動かされた気持ちは、素直に言葉で表しておかなければならないということなのです。いや、もう、傑作です。面白かったあ。

正月。朝起きてきた「おとん」が「ぼく」に告げたのは、おかしな初夢の話でした。茄子牛に連れて行かれた富士山で、餅を振る舞ったところ、富士山に願いごとを叶えてもらえることになったというのです。そこで、いつも失敗している焼き餅を、焦げないようにして欲しいと願った、おとん。そんなしょうもない願いが、現実に叶ってしまいました。どんなに焼いても餅は焦げないどころか、すべてに焦げ目がつかなくなり、世界的なパニックを引き起こしているのです。もうひとつ願いを叶えられると富士山に言われた、おとんは、ぼく、にその願いを託していました。願いが本当に叶うことは実証済。そして、二人のなによりの願いは、「おかん」を生き返らせたい、ということだったのです。ハイセンスなユーモアが溢れる関西弁のやりとりが面白いこの物語ですが、この、おとんとぼくの二人暮しには、悲しくてやり切れない思いが裏腹にあります。おかんはどうして死んだのか。その不幸な突然の死に、小学六年生だった、ぼくは、重い気持ちを胸に沈めたまま中学生になりました。友だちになったケンのおかげで少し明るくなった気持ちも、やがてケンを失い、自分の無力さに打ちのめされる、ぼく。おとんはおとんで、おかんを失った悲しみから立ち直れずにいます。心の黒い塊は、どこへやったらいいのか。ぼくは、夢の中で富士山に願いを叶えてもらうために眠りにつこうとしています。この本の表紙を読後に見ると、どうにも切なくななるのです。ぼくは、もうひとつの願いをどう使ったのか。古典的な、願いごとをめぐる物語の常套が、なんとも胸に響いてきます。

行き場を失った悲しみ、について、作者があとがきで触れています。この物語のテーマに関わる重要な部分だと思います。突然に理不尽なことで大切な人をなくした、その思いを何にぶつけたらいいのか。児童文学の中では、家族を突然に失った悲しみが描かれることが多いものです。で、たいてい子どもたちは、それにうまく対処できずに、訳のわからない迷妄を繰り返しながら、ようやく少し楽になれるのです。きっとその逡巡するプロセスこそが大切なのだと思います。ショートカットせず、大いに悲しみ、悼み続けるしかない。この物語、おとんもぼくも、人前ではともかく、二人の間では悲しみを全開にして語り合っています。これは家族の前でも気恥ずかしくなったりすることだと思うのだけれど、悲しむことに照れている場合じゃないのですよね。悲しみをこらえるべきだと思う気持ちがどこかにあります。でも、大切な家族を失ったら、大いに嘆き悲しんでもいいのだよという、赦しがここにあると思うのです。いや、そんなこと、あらかじめ赦されているのです。ともかく、切なくも面白い、もう最高の物語ですよ。