魔女ジェニファとわたし

Jennifer,Hecate,Macbeth,William Mckinley,and me,Elizabeth.

出 版 社: 岩波書店

著     者: E.L.カニグズバーグ

翻 訳 者: 松永ふみ子

発 行 年: 1970年

魔女ジェニファとわたし  紹介と感想>

新学期前に転校してきたため、学校に友だちのいないエリザベスは、いつもひとりで学校に通っていました。ハロウィーンの日、仮装して登校しなければならない時にもひとりぼっち、というのはさびしいものです。そんな時、出会ったのが、ジェニファです。見上げた木の上に座って足を投げだしている彼女の脱げそうな靴を履かせてあげたエリザベスに、魔女は靴をなくさない、と言うジェニファ。エリザベスと同じ巡礼の格好をしているのに、自分は魔女だと名乗るこの女の子は、どこか風変わりで、不思議なもの言いをします。先生をまどわすために学校に通っている、という、この自称魔女の少女。魔女は議論をしない。魔女は遅刻をしない。とりすまして、そんなことを言う、笑わないジェニファにエリザベスは惹かれていきます。一方、ジェニファはエリザベスに魔女見習いとして修業をすることを持ちかけるのです。ひとりぼっちだった毎日がジェニファのおかげで変わっていきますが、彼女の行動は突拍子もなく、エリザベスを驚かせ続けます。自ずとそんな友だちができたことはママには内緒にしたくなるもの。魔女ジェニファに翻弄されることを楽しんでいるかのようなエリザベス。二人の違和感のある会話がユニークで楽しい物語です。

魔女ジェニファは、おかしな課題を見習い魔女エリザベスに与えます。一週間、毎日、生の玉子を食べろと言われたかと思えば、次の週は生のタマネギです。学校ではエリザベスに話しかけることもなく、紙切れを渡し、土曜日に図書館で会うという、この変わった友だちの、学校での態度もまた他の人とは違っていました。同じクラスのいけすかない女の子であるシンシアをものともしない態度にはエリザベスも見惚れてしまい、「鉄の神経」と「魔女のハート」を持つ彼女をリスペクトするようになります。やがて、ジェニファはエリザベスを魔女の助手に昇格させますが、今度は多くのタブーが申しつけられます。ねむるとき枕を使わないこと。日曜日に家の中で靴をはかないこと。朝食前に歌をうたわないこと。夕食前に泣かないこと。意味があるのかないのかよくわかないままに、ジェニファの言うことを聞くエリザベス。自分自身のことには触れず、ただ興味のあることしか話さないジェニファ。エリザベスはジェニファのそんな言葉や態度を疑問に思うこともなく従っていましたが、次第に「物語」は、ジェニファの心のうちを、エリザベスに気づかれないままに「読者」に見せ始めます。このあたりから、だんだんと物語の行方に不穏なものを感じるようになるはずです。ひとつのターニングポイントは、シンシアのパーティーにエリザベスが招かれたくだりです。ジェニファはここでエリザベスに色々な戒めを与えて、それがまたおかしな結果をもたらすことになります。ジェニファが招かれていないことにエリザベスは言及しませんが、そうした些細なことの裏にあるものに、胸騒ぎを覚えるあたりも、この秘密めいた物語の魅力なのです。

案の定、ジェニファとエリザベスの関係は一度こわれます。ジェニファの極端な態度をはかりかねたエリザベスは、つい、あんたなんかジェニーのくせに、と言ってしまうのです。それによって、ジェニファの魔法はとけることになり、二人の関係性はそこから新たなステージに入ることになります。なんとも不可思議で、奇妙で、おかしな空間がここに描きだされています。エリザベスの主観が捉える世界は一面的なのですが、色々なものが垣間見えてきます。ジェニファが黒人であることに言及すると、また、多義的な解釈ができるのかも知れませんが、子ども時代の、どこか秘密めいたものにサムシングを感じていた、たわいもない時間を映した物語として単純に楽しんでも良いのかと思います。いったいどう考えたものか、とここまで感想を書きながらも困っているのですが、この妙な余韻こそが身上なのか。1968年のニューベリー賞オナー受賞作。この年、本賞を受賞したのは、同じくカニグズバーグの『クローディアの秘密』でした。それにしても自称魔女、なんて人はやっかいそうなので、なるべく近寄りたくないな、と考える大人である自分のつまらなさを思います。