保健室経由、かねやま本館。

出 版 社: 講談社

著     者: 松素めぐり

発 行 年: 2020年06月

保健室経由、かねやま本館。 紹介と感想>

学生の頃に、同級生に心ないことを言ってしまったことを思い出して、未だに苛まれることがあります。自分が傷つけられたことの方が圧倒的に多いとは思うけれど、それは決して相殺できるようなことではないし、自分が無意識のうちに傷つけていたともあったと思います。やはり傷つけた方のカウントは甘めです。他者の気持ちに対しての想像力がないと傍若無人な人になってしまうわけですが、まずそこに気づくことが大切ですね。自分では気づきにくいことだとはいえ、人からの忠告や真摯なアドバイスを受け入れることも難しいというのが学生時分のプライドです。自分が「いやなヤツ」だなんて思ってもおらず、周囲の無理解を嘆いたりする。いや、ちゃんと自分が「いやなヤツ」だということは理解されていたのです。これはなかなかショックなことではないかと思います。汚名挽回と失地回復に必要なものは、正しい自己認識と「元気」です。自分が愚かだった、という反省を経て、あるべき自分になっていけば良いのですが、これが凹んだままだとなかなか難しい。思春期のアイデンティティのスクラップ&ビルドなんて通過儀礼ですよなんて訳知り顔で言われても、当事者にとっては、この生まれ変わりはけっこう厳しいものがあるのです。とはいえ、これはその後の人生を変える千載一遇のチャンスのはずです。まず、元気を出さないと。だからといって、そこで「温泉に行く」という発想はなかなか出てこないですね。中高年ならともかく、中学生ですし。この物語は、学校生活で人を傷つけ、自分も傷ついた子どもたちが、学校の「第二保健室」を経由して、なぜか床下からつながっている異空間の湯治場の温泉宿「かねやま本館」で温泉治療を受け心を癒やされるという奇想の物語です。温泉宿で自分を見つめなおす児童文学となると、若おかみは別格として、『花をくわえてどこへゆく』以来ではないかと。第60回講談社児童文学新人賞&児童文芸家協会新人賞受賞作です。

父親の転勤で、新潟から東京へと引っ越すことになった、サーマこと佐藤まえみ。小学校を卒業して、中学校に進学するちょうど良いタイミングで始まる「夢の東京生活」に、サーマは希望を抱いていました。新潟の小学校では人気者でクラスのリーダー的な存在。誰からも好かれる自分に自負があったのに、東京の中学校で、その自信が揺らぎはじめます。中学ではさっそく仲良しグループもでき、楽しく学校生活をスタートさせたのも束の間、次第に不協和音が鳴り始めます。そして、自分が空気を読めておらず、わざとらしく協調するフリだけをしていると指摘され、グループから爪弾きにされるのです。『サーマって、しんどい』と言われてショックを受け、失意のサーマがたどり着いたのが第二保健室です。山姥(やまんば)のような銀山(かねやま)先生に誘われて入ったカーテンの向こうには、床下の世界が広がり、温泉宿「かなやま本館」につがっていました。一月間有効の定期券をもらい、不思議な効能のある温泉に通いはじめたサーマは、傷ついた心を解きほぐされていきます。ここは単なる癒しの湯ではなく、「傷心」や「内省」「受容」「孤独」などを見つめ直す特別な効能を持った温泉でした。人気者だと思っていた自分の奢り。仲間外れにされた友だちをののしる自分の醜さ。毎朝、早く学校に来て、ここで温泉に入りながら浮かんでくる自分自身の姿にサーマは立ち向かいます。温泉で出会った自分と境遇の似た長野県の中学生、アリと親しくなったり、同じ中学に通っていたものの不登校になり保健室登校中だった兄の慈恵ともここで出会うことになります。この場所のことを外で口外すれば二度とここにこられなくなるという厳しいルールがあります。先に温泉に来始めていたアリとも別れ、サーマの自分を見つめ直す温泉での日々にも終わりが近づきます。サーマはここで、一体何を感じとったのか。一風変わった楽しい成長物語です。

サーマの兄の慈恵もまた、新潟の学校ではそれなりの人気者であったにもかかわらず、東京の中学校でつまづき、居場所を失っていました。深刻なのは、迂闊にも自分の保身のために、深く人を傷つける言動をしてしまったことです。そのことで、人として蔑まれるようにさえなります。この人間関係は挽回しようがないと諦めて、学校にも行かなくなった慈恵。保健室登校をはじめた慈恵も、サーマと同じく、この「かねやま本館」で、自分自身と正面から向き合うことになります。悪いのは、誰でもなく自分です。学校に行けなくなったことも、経緯を考えれば「身から出たサビ」です。そのサビを綺麗さっぱり洗い流し、癒しや、赦しを与えてくれるほど、温泉は甘くありません。自分自身に立ち向かい克服する勇気が必要です。ギリシア悲劇のように、自分の罪を認知し、受苦を経た先に、逆転があり、ようやく運命と和解できるのです。とはいえ、これはまたハードなことであって、逃げたくなくもなるよなあと途方に暮れます。ファンタジーをテコにして勇気を与えられる物語は多いものですが、生ぬるく癒されることも、赦されることはないというのが常套です。ただ、程よいリハビリの場所としてこんな異世界の温泉旅館があって、闘う勇気や元気を与えてくれたのならと憧れますね。人に赦しを請わなくては、永久に赦されないものです。そんな直球の真理をつきつけられる物語です。ちゃんと謝らなかったことの後悔を大人になっても抱えて生きるのは辛いものです。ところで、「増築を重ねた温泉旅館のような」という比喩があります。計画性もなく拡張していって、収拾がつかなくなり、機能性を失ったりすることは良くあることですが、どこか人の心の迷宮にも似ているものですね。