出 版 社: ポプラ社 著 者: 川上途行 発 行 年: 2009年11月 |
< 僕とあいつのトライアル 紹介と感想>
大人を舐めている子ども、というキャラクターにイラっとすることがあります。年長者をすべからく重く敬うべし、とまでは言わないものの、それなりに遇するべきだというのが自分の主義です。とはいえ、過去のことを考えると、学生から社会人になったあたりの頃の僕もまた、年長の先輩に対してかなり生意気ではなかったかと思うのです。しかし、会社の年配の方たちの懐の深さや人間としての度量に、己の浅薄さを思い知り、年齢を重ねることの意味を実感しました。あの時点で、自分は社会人になってもまだ子どもだったのだと思います。ずっと人生の先を歩んでいる深慮を持った大人たちがいてくれるものです(まあ、それはちょっとした理想であって、現実に期待すると難しいものもありますが)。ということで、自分自身の反省も含めて、浅い経験しかないくせに、大人をバカにするようなガキというのが許せません。そういうガキがケチョンケチョンに叩きのめされる作品というのが好きなのです(あれ、子どもの頃は大人をやりこめる子どもの話が好きじゃなかったか?)。ところで、大人たちは「そんな生意気な子どもであってさえも許容する」のです。ここが物語のポイントです。その深い優しさ。子どもが大人の寛大さを思い知る時、本当の意味で「大人びた子ども」になることができるのではないかと思います。生意気な子どもが大人たちをやりこめたような顔をしていても、大人はもう少し先に立って見守っていてくれる。大人げない大人が増えた昨今、大人の大人らしい大きな態度がまた光る時代になりました。児童文学としては、これもまたニューモードのような気がしています(この文章を書いた刊行当時の話です)。ところで、この物語は、色々な意味で煮え切らないのです。非常に中途半端な印象があります。大人も子どもも煮え切らない、半熟なのです。そこがまた魅力であり、更に先行く関係性を見せてくれたような気もします。
公園で一人、漫談の練習をしていた、かけだしのお笑い芸人の正哉。彼の芸をそばで聞いていた小学三年生のタカシは、意外にも鋭く正哉の芸を見抜いていました。タカシがほめるネタは、客への受けがいいことに気づいた正哉は、タカシにネタ見せをして、その批評を聞くようになります。シングルマザーの一人息子であるタカシは、やや寂しさを抱えた子です。小学三年生なのにクレバーすぎて、可愛げのない性格。学校でも優等生のフリをしているような、食えない子なのです。そんなタカシに適度にあしらわれながらも、親身になっている正哉。次第に親しくなっていく二人。正哉は実にタカシを深く見つめているのです。タカシは、そんな正哉に漫才の相方になって欲しいと頼まれて、静かに胸の高鳴りを覚えます。しぶしぶ学校の休みに協力しているフリをしながら、実は夢中になっていくタカシ。コンテストはいまひとつだったものの、TV局受けは良く、二人はその活躍の場所を広げていきます。賢いようで不器用なタカシ。それを、また不器用な大人である正哉が支えていく。なんだか不思議な友情の物語です。
第1回ズッコケ文学賞審査員賞受賞作品。この装画だし、ズッコケだし、主人公は小学三年生なのに、意外にも大人小説なので驚きました。これは児童文学の書き方じゃないですね。一般小説の山本幸久さんや桂望実さんなどのハートフルな作品に近いものだと思います。大人びた子どもと、大人になりきれない大人のコミカルなやりとり。タカシと正哉、双方の一人称が交代で話が進むのですが、やや正哉よりのきらいがあるか。売れない芸人で、小学生に頼りきっているような、一見、ダメ大人の正哉。それでも、タカシを小学生であるからと軽視せず、そのセンスを見ぬきリスペクトするというのは、大人でもなかなかできないことです。タカシも自分を認めてくれる大人の存在によって、そのアンバランスな心が保たれている。成長途上の二人は、少しずつ一緒に大きくなっているような、そんな気もします。それもまた、半熟なままの大人と子ども、の新しい関係性かも知れません。しかしながら、もうひと押しという感じの物語です。なんか歯がゆいのです。