ひかり舞う

出 版 社: ポプラ社

著     者: 中川なをみ

発 行 年: 2017年12月

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戦国時代末期。本能寺の変から関ヶ原の闘いまでの激動の十六世紀末を駆け抜けた一人の少年の物語は、冒頭から大きな人生の転機を描きます。武士の子ながら剣術は得意ではなく、なぜか着物や衣服に興味があり惹かれてしまう、たおやかな心性を持つ少年、平史郎はこの時、七歳。明智光秀の家臣であった父が戦に駆り出され、討ち死にしたのは、本能寺の変か山崎の戦いか、いずれの戦場だったのか。謀叛を起こし、敗走した明智家の家臣の家族もまた追われる身となり、平史郎は、母と妹のサキとともに屋敷を捨てて逃げ落ちます。母親は縁故のあった裕福な商人を頼ったものの、施されることを潔しとせず、自ら生計を立てようとします。しかし、生活は窮乏し、栄養不足も嵩じてか、妹のサキは病気であっけなく亡くなります。失意の中から、塩漬けにされた首実験の首洗いの仕事をすることに慰めを見出した母親と、平史郎は袂を分かち、一人生きていくことになります。鉄砲撃ちの集団である雑賀衆の男、タツに拾われた平史郎は、気弱すぎて武芸には向かないからと、預けられた漁師の家で奥の仕事をするようになります。そこで習い覚えた針仕事は、存外、性分に合っており、平史郎は縫いもので自分の身を立てていくことを心に決めます。戦乱の時代、多くの人たちとの出会いと別れを繰り返しながら、人の恩に感謝し、何を慈しむべきかを見極めようとする平史郎の、魂の軌跡が描かれた雄大な物語です。器用な手先と美しい手際で丁寧に繕いものを仕上げ、着物を縫い上げていく。心を尽くして働き、感謝を忘れない。父母から諭された慈しみの気持ちを自らに問うように生きる少年の成長に心を揺さぶられる物語です。

辛い時代です。戦乱は続き、人々は困窮しています。自分のことで精一杯のはずなのに、それでも孤児となった少年に温情を与えてくれる人たちがいます。平史郎は人との出会いに恵まれ、様々な恩恵を受けます。鉄砲撃ちのタツには雑賀衆の村に連れ帰ってもらい、住む場所を与えられました。針仕事ができるようになってからは紀州の太田城での暮らしを斡旋してもらいます。太田城が秀吉軍の手により陥落した後は堺に暮らし、そこで絵師の周二と知り合い行動を共にします。タツや周二は、型にとらわれない自由なスピリットを持った頼れるアニキたちです。年少の平史郎はその温情に感謝し、彼らの心意気に憧憬を抱きます。京に出て、裁縫の店を軌道に乗せたものの、やがて胸を病んだ周二とともに、彼の故郷の対馬で暮らすことになった平史郎は、国主である宗義智に周二が絵師としてかかえられたことで、お城の裁縫仕事も頼まれるようになります。義智の妻であり、小西行長の娘でもあるマリアに平史郎は重宝され、その裁縫の腕を発揮したり、用を託されて朝鮮にも足を運び、虐げられる朝鮮の人々の姿に胸を痛めながらも見聞を広げていきます。そこで出会った、孤児となった朝鮮の貴族の娘、おたあをマリアの元に送り届けることになった平史郎は、亡くした妹の面影をおたあに重ね、今度は自分が庇護する立場として、彼女に心を尽くしていきます。無常で慈悲のない時代にあっても、人と信じあい心を通わせていく平史郎の真っ直ぐで清新な瞳が見据える世界には、それでも人が真摯に生きていくことに意味はあるのだと訴えるのです。

気弱で力もなく、男の仕事は無理だと言われ、針仕事を覚えることになった平史郎。しかし、この技芸のおかげで平史郎は自分を生かすことができました。生真面目で丁寧な平史郎の仕事を、ちゃんと見てくれている人たちがいて、その手際は評価され、依頼は途切れず、色々な縁が結ばれて、次第に繕いものだけではなく、新しい布で晴れ着を縫って欲しいと頼まれるようにもなります。絶対に自分にできる自信がある仕事しか受けない平史郎の慎重さを周二はたしなめますが、そこが平史郎の誠意のあるところであり、臆病なところです。決して調子に乗らない慎重さがあるのです。妹のサキに与えるための饅頭を、一人で食べてしまい、妹を死なせてしまったという後悔にずっと苛まれ続けていた平史郎が、人との関わり合いの中で、ようやく自分を赦し、人とのほどよい関係を培えるようになっていくプロセスは、感慨深いものがあります。男のくせに、と針仕事をすることを蔑まれたこともあります。馬鹿にされても腐ることなく、ただ自分の仕事を全うし、誠意をもって人に対峙できる平史郎の心根を羨ましく思います。その力を正当に評価されるという「幸運」もまた感謝すべき恵みです。明智家で武士らしからぬ奥の仕事である衣装係を務めあげた父や、首洗いに矜持を持って取り組んだ母の姿が平史郎に教えたものを考えさせられます。またこの物語に興味深い人物として登場するのが、戦国武将の小西行長です。キリシタン大名として名高い彼は、秀吉の配下として、無謀な朝鮮討伐で指揮をとる一方、孤児や病人を助ける施設を設けて弱者に施す慈悲の人でもあります。自身の矛盾を受け止めながら、信仰の人として生涯を全うした姿は、平史郎にも大きな印象を与えます。キリシタンが弾圧されるなか、信仰を捨てない人々の祈りと思いを見つめる平史郎に去来する想い。すべてを神の恩寵と考えるキリシタンと、人の厚意に感謝する平史郎には距離もあります。長じて信仰の人となった、おたあとの感覚の違いもありますが、与えられた恵みをあたりまえのものと思わず、自らも誰かに与える人になろうとする、その善意の尊さは変わらずゆるぎないものです。自分の中の卑しさに苛まれてきた平史郎は、人の誇りを持った生き方を見て、自らもまたより誠実であろうとします。着物に凝らされた人の大切な思いを受け取る。戦国の世の中だからだけではなく、いずれの時代でも輝く、普遍的で大きな愛がここに描かれています。