出 版 社: 東京創元社 著 者: フランシス・ハーディング 翻 訳 者: 児玉敦子 発 行 年: 2017年10月 |
< 嘘の木 紹介と感想 >
「偽りの木」の果実を育てるには、木に嘘をささやく必要があります。その嘘が多くの人をあざむくほど、木の実は大きくなり、豊かに実った果実を口にすれば、心に宿した疑問に真実のヴィジョンが与えられるのです。そんな不可思議な植物が登場するとなれば、おとぎ話めくファンタジーかと思いきや、物語は荒唐無稽とは真逆の世界観を見せつけます。時は19世紀末。堅苦しい封建的な社会に閉じ込められた十四歳の少女フェイスの、生硬で痛々しい心情描写には、息が詰まるような閉塞感があります。嘘の木なんて、その存在を口にすることさえはばかられる生真面目な土壌だからこそ、その特異性は輝く。いかめしいモラルの土台があってこそ、嘘をつく「罪悪感」が光を放つのです。優れた知性と怜悧な頭脳を持ちながら、女子であるために有形無形の制約を受けている少女フェイス。どんなに賢くても、男子のように扱われることのない無聊。心に鬱屈を抱えながら、不慮の死を遂げた父親の真実を見つけだすため、嘘を閃かせて闘う彼女が、最期に見極めたものとは。ミステリーであり、神秘小説であり、心理小説であり、なによりも児童文学である。事件の真相が紐解かれ、フェイスの心境もまた、その経過とともに変化していく。不可思議で蠱惑的な「偽りの木」の存在感が物語を貫いていく、非常に読み応えのある作品です。
聖職者であり、博物学者であるフェイスの父親は、その高名を得た化石の発見が捏造であると暴かれ、醜聞に追い立てられていました。聖書の奇蹟を証明するその発見が、あえてつかれた「嘘」であったことをフェイスが知るのは、父親の死後のことです。父親が「偽りの木」を使って、真実を見極めようとしていたことを知ったフェイスは、自分もまた嘘を拡めることで、父親が死んだ真相を突き止めようとします。崖から落ちたところを発見された父親は、自殺を疑われていました。父親が殺されたと確信しているフェイスは、思い切った行動で、少しずつ犯人との間合いを詰めていきます。父親に愛されたいと思いながら、ほめられることもなかったフェイス。この時代に女子であることは、彼女のような知性と感性を持った少女にとって、大きな足かせでした。自分に求められていることと、なりたい自分が違う。父の所有する本を読み、多くの知識を有していたとしても、その事実は人を不快にするだけで、歓ばれるものではないのです。男性に媚を売り、一方で冷たくあしらい、人に序列をつけて、優位な立ち位置を選び、上手く立ち回る。美しい母親の、女性的な生き方に反感を募らせるフェイス。父親を殺害した犯人を見つけようとするなかで、フェイスは自分自身の生き方を模索し、そして大胆に嘘をついていきます。その背徳感にはどこか禁じられた悦びもある。物語は嘘によって魅惑的に彩られるのです。
物語の背景にあるのは女性が自分らしく生きることが難しかった「時代」です。これは『ダーウィンと出会った夏』や『オックスフォード物語』と同じように、19世紀末の、科学が進歩を遂げはじめた輝かしい時代に、女性の社会進出をはばむ壁に押しつぶされそうな賢明な少女の物語です。特にこの物語の主人公フェイスの自意識の熾烈さは、いずれの作品よりもセンシティブに、その閉塞感を見せてくれます。自分に自負がありながらも、社会的に何者でもなく、居場所のない自分におののいてしまっている。大人でもなく、子どもでもなく、美しくもなく、寄る辺のなさを持て余している。そんな彼女の視点を通して、嘘の木の物語が語られることに、相乗効果があります。秘密を共有することになる同い年の少年、ポールとのかけひきなど、次第に大胆に人との距離をコントロールしていくフェイスの不敵さも素敵なところです。圧巻なのは、母親との確執が、彼女の意識の変化によって、次のステージを迎えるあたりです。時代の制約の中で、したたかに生きている、多くの女性たちの生き様が、フェイスの心に兆していくものには注目です。