出 版 社: 鈴木出版 著 者: M・G・ヘネシー 翻 訳 者: 杉田七重 発 行 年: 2018年10月 |
< 変化球男子 紹介と感想 >
トランスジェンダーの主人公を描いた海外の児童文学作品が数多く翻訳刊行されている昨今ですが、それぞれ色あいや味わいが違っています。この作品もまた女子の身体に生まれた男子の物語です。男の子になりたいのではなく、もともと男の子なのに身体が間違っていたという認識は一緒です。他の作品と異なっているのは、主人公がすでに別の性別としての生活を獲得している点です。シェーンの身体は女子ですが、二年前にこの学校に転校してきた時から男子として過ごしています。野球チームのエースピッチャーとして活躍する短髪のシェーンを誰も女子だとは疑っていません。人に知られてはいけない秘密を抱えている、という状態から物語はスタートしているものの、自分から言いださなければ誰にも気づかれないし、シェーンはいつの間にか、自分がトランスジェンダーであることを意識しなくなっていました。男の子たちと荒っぽいつきあいをしたり、同級生の女の子を好きになって、できれば彼女に近づきたいと思ったりと、ごく普通の少年の日々を生きています。しかしシェーンの「正体」を知った「悪意」が、その秘密を暴露しようと画策し、次第に追い詰められていきます。この困難な状況をシェーンはどう乗り越えていくのか。秘密がバレた時、これまで築いてきた友人たちとの信頼関係は失われてしまうのか。トランスジェンダーという自分を生きるシェーンの闘いの日々を描く物語です。「変化球」でストライクをとるには、それなりの作戦が必要です。果たして「変化球男子」が勝利するためには何が必要なのか。小細工なし、が理想なのですが、今の世情に鑑みて、これはまだ難しい局面だなと痛感しています。
中学生になったシェーンは一つの転機を迎えていました。十二歳の身体には否応なく変化が迫ってきています。身体的違和感。これまではホルモンブロッカーで女性として成長することを抑えていた状況から、テストステロンという薬品を投与して、積極的に男性化する段階へと進んでいたのです。人為的に身体に変化を促すことで後戻りができなくなる。その覚悟が必要とされていました。シェーンとしては先に進みたいものの、両親はやはり考えてしまっています。とくに離婚して離れて暮らしている父親の気持ちは複雑です。「男まさり」という言葉で人にシェーンのことを説明するのは、やはり肝心なことから目を逸らしているのです。理解を示してくれていても、本心では普通の女の子であって欲しいと両親は願っているのだと失意を感じてしまう。この本には『あらゆるトランスジェンダーと、性別の枠を超えたい子、そしてその子たちを無条件に愛する人たちに捧げる。』という献辞が寄せられています。親は子どもを愛している。とはいえ、この「無条件」のハードルがなかなか越えられない壁であることも考えさせられました。
女の子であることを卑劣な方法で学校中に拡散されてしまったシェーンは、居場所を失っていきます。悪質ないやがらせを受けることもあれば、これまで親しくしていた人も離れていきました。そんな中、隠しごとをしていたシェーンに腹を立てながらも、チームメイトであるジョシュが変わらない友情を寄せてくれることが救いとなります。LGBTへの理解が強く求められている昨今ですが、この物語で描かれたのはまだまだ成熟していない世界です。世間の目に押し潰されそうになるピンチを、いかに自分を強く持ち、切り抜けていくかが主題になっています。この物語もいつかは旧時代の話となって、そんなひどい時代があったのだと回想されるようになるのでしょうか。シェーンが趣味で描いているSFコミックが物語に並走しています。物語の進行とともに、この作品の中にシェーンの意識の変化が表れていくのが面白いところです。1960年代に『スタートレック』のテレビシリーズが放映になった頃、その当時の感覚では色々な人種の人たちや女性が分け隔てなく対等に働いているエンタープライズ号のコクピットは、かなり先進的な世界を描いたものだったそうです。シェーンが新たに描こうとしているコミックは、恋愛関係になることのない男女が、未知の領域を探索するというエンタープライズ号の調査飛行のような物語です。もっともシェーンが好きなのはマーベルと宮埼駿作品なのですが。