3つ数えて走りだせ

Aussi loin que possible.

出 版 社: あすなろ書房

著     者: エリック・ペッサン

翻 訳 者: 平岡敦

発 行 年: 2017年03月


3つ数えて走りだせ  紹介と感想 >
走り出したら止まらないぜ、とは言うものの、惰性で走れるほど地球の重力は軽くなく、走り続けてもいつかは体力の限界がきます。また社会的制約もあるわけで、十三歳の中学生が学校にも行かず、何日間も走るのは難しいものです。それでも走り続けるのは、根性のたまものです。いや、なんらかの心の事情に突き動かされているからなのでしょう。確信犯か、現実逃避か、目的地やゴールを決めないまま発作的に走り出した少年二人。学校に行く途中の道で、方向を変えて走り出した少年二人には、あらかじめ計画があったわけではなく、ただ「三つ数えて」走り出したのです。つまり、その瞬間に二人は、何も言わないまま合意したのです。そんな冒頭から始まるこの物語。読んでいるうちに、少年二人それぞれの事情がわかりはじめます。しかし、その事情と何日間も走り続けることとは、線で結べるものではありません。誰かを救うためにどこかに向かうというメロス的な疾走ではないのです。無論、道理が通らず、条理がない行為だからこそ、心の真実を映すものかも知れません。物語の終わりには、結果として、意味もなく走り出したことに意味が見出されます。ただ、それは二次的なことです。日常からふいに抜け出すことにした少年二人のロード小説であり、その視線が捉えていく景色と心の躍動を細やかな描写から感じとれる作品です。少年たちと一緒にフランスの街々を走り抜けていく、そんな疾走する読書を是非、お楽しみください。

トニーの悲しみとアントワーヌの怒り。少年二人が抱えていたのは、自分たちの力ではどうにもならないものでした。トニーの両親はウクライナからフランスにきた移民ですが、正式な滞在資格がありません。就業を続けていれば資格は延長されるものの、勤め先が潰れてしまい、そうした立場のために次の仕事が見つけられず、ついには国外退去を命じられてしまいます。トニーの家族のことを良く知っているアントワーヌは複雑な思いを抱いています。仲が良く、愛情で結ばれたトニーの家族。一方でアントワーヌの父親は、所謂「殴る男」です。母親は父親に何も言うことができず、アントワーヌもまた抵抗ができない。そんな怒りをくすぶらせていました。真面目な生徒である二人は、学校で問題を起こすこともありません。ただ「問題児」には見えなくても、彼らのように問題を抱えている子もいるのです。少年二人が三つ数えて走り出したことと、彼らの事情には因果関係は特にありません。ただ閉塞した日常からの、あてのない突破がここにありました。無謀で考えが足りない。ただ、人生はふとしたことでギアが入ってしまうことも、道を外れることもあります。読者としては、これからどうするんだろうなあ、と思いながら、二人の道行きを眺めていますが、当人たちもなんら正解を持っていないという状態。だからこそ、この旅の行方の果てにあるものを巻末まで読んでいただければと思うのです。

ふと『長編ランナーの孤独』(シリトー)を思い出していました(ちょっと嘘です。実はなかなか、そのタイトルが思い出せなかったのです)。いくつかの要素が重なるところがあったからなのですが、やはり「走る」物語は、自分の心の裡に沈んでいく、自分との孤独な対話であるなと思うところです。ところが本作は、二人で一緒に走っているわけだし、ここには「何も言わないまま心が共鳴している」少年同士の空間があったかなと思います。孤独ではないのです。YA作品としては友情と、友情の中の不信がないまぜになったり、自分が信じらなくなったりしがちですが、これは割と素直で、結果的に上手くいく物語でもあるので、安心して読んでいられるかと思います。なんとなく良い感じの関係性の二人ではあったので、もうふたひねりぐらいあって欲しくて、やや物足りない読後感があります。