夏のカルテット

出 版 社: PHP研究所

著     者: 眞島めいり

発 行 年: 2021年06月

夏のカルテット  紹介と感想>

このいたわしさをどう表したら良いのかと思っています。この物語には、人の目を意識するあまり何もできなくなってしまう少年が登場します。せっかく結ばれた友だちとの関係も、一緒に物を作り出していく歓びも、誰かに自分が揶揄われることに耐えられない、という、その一点で、全てをフイにしてしまうのです。明らかに本末転倒しているし、本質を見失っているし、バカじゃないのか、とさえ思うわけですが、その気持ちには大いに共感と同情を抱きます。中学生男子は恥ずかしいものなのです。一方で、そのナイーブさは、やや病的だとさえ思います。それを越えていくことが、かつての物語では主題になったものです。とはいえ、昨今のネット上で活躍する匿名のアーティストたちのように、自分を一切晒さずに、その才能を発揮していく人たちもいます。自己表現の方法だけではなく、色々なスタンスが認められる時代には、生き方の塩梅がやや変わってきた気もします。自分だからできることを表現して、誰かに見ていてもらいたい。とはいえ、自分を決して表に出したくないという気持ちもまたあるのです。揶揄われることは無論、嫌だし、ほめられることだって、なんだか居心地が悪いものです。実際、自己肯定感が足りなすぎるのではないのかとも思います。あるいは自意識過剰か。どうせ自分のやっていることなんて、誰もろくに見てはいないのだから気にしすぎなのですよ。なんて言えるようになるのは自分の中の中学生男子に終わりがきた時です。物語は、そうした繊細な子の主観ではなく、彼の周囲の子どもたちの歩み寄る気持ちによって語られていきます。どんなデリケートな思いも一笑に付さないこと。そんな高度の心の交流の物語を是非、味わって欲しいのです。ここに、新しい物語の扉が開き始めています。

夏のカルテット、が成立するきっかけとなった図書室事情あたりから話は始まります。夏休み。図書委員には図書室の貸出しや整理の仕事が割り振られていました。同じ学年の四人づつで組まれたチームでの当番制。中学一年生の霜村典(つかさ)は、馴染みのない同学年の三人と一緒に、図書室当番を勤めることになったのですが、この夏休み、図書室は、校舎の改修工事のために、日中、作業機械の轟音が鳴り響く、過ごしにくい場所となっていました。誰もくることがないこの場所で、四人は無為に時間を過ごすことになったのです。そんな罰ゲームのような日々が変わっていったのは、四人の中の一人である佐々矢が、とある事情でアコスティックギターを抱えて学校にきたことからです。ギターに興味を持っていた典が、弾いて欲しいとせがむと、佐々矢が弾き語り始めたのは、この中学校の校歌。やがて佐々矢に合わせて、四人の中で唯一の女子である夏野(かの)の歌声が重なり、もう一人の男子、幹(みき)も歌い始めます。その二人の息の合った美しい歌声に典は心を打たれます。元々、この二人は同じ音楽教室に通っていたことがあったそうなのです。この即興の合奏後に、佐々矢が提案したのは、夏休みの自由研究のグループ活動をこの四人でやろうということでした。合唱、または合奏。佐々矢のギター、幹のピアノと夏野の歌。さて、楽器も歌も得意ではないという典に、勧められたのは作詞でした。図書室日報を書く、典の言葉のセンスに皆んなが注目していたのです。クラシックの楽曲にオリジナルの歌詞をつけて歌い、合奏する。そんなプロジェクトに中学生たちは手ごたえを覚え、ワクワクし始めます。お仕着せではなく、自分たちで創作していく、その歓び。ただ、その先に、華々しくステージで脚光を浴びることが志向されていません。だって悪目立ちしたくないのです。ここが大きなポイントです。

ヘンデルの「調子の良い鍛冶屋」に歌詞をつける。典がこの難題にどう挑んでいったかが見どころです。結果的に二つのテーマの詩が出来上がりますが、両方ともかなりユニークで詩的で、何よりも「真面目」なのが良いところです。実に真面目で素直な良い子たちの、真っ直ぐな感性の触れ合いが心地よい物語です(それは作者の素晴らしい文章表現のたまものです)。先生に指導されるわけではなく、すべて自分たちで考える。互いを尊重し、認め合い、一緒に物を作っていく。これはちょっと大人びた行為で、中学一年生としては、どこか誇らしく思えるのではないでしょうか。そんな清新な気持ちを豊かに描き出しながら、興奮が潰えてしまう展開となるのが、この物語のもう一つの鍵です。仲間の一人である幹は、男子ながら、かわいらしい外見をしており、そのきれいな声も、同級生たちに揶揄われるネタにされていました。全校集会で校歌を歌う時にも口パクで済ますほど、幹は、目立つことを気に病んでいます。仲間たちとの音楽作りの楽しさを感じながらも、ずっと幹の胸には、そのことが気にかかっており、課題の提出の段になって、自分は抜けると言い出すことになるのです。このことを惜しむ仲間たちが、それでも無理強いをしないのは、誰かにバカにされる不安、に覚えがあるからかも知れません。そんな彼らが選んだのは、ネットへの匿名投稿による「世界デビュー」です。知っている人には知られたくない。それでも誰かに気に入ってもらえて、高評価をもらえることは嬉しい。その顛末もまた、興奮と失意が入り混じった複雑なものになっていきます。色々な心の障壁に阻まれて好きなことが自由にできない彼らです。他人の目を気にしすぎることを馬鹿馬鹿しいと一蹴せず、どこかそんな今の時代のメンタリティと共存していくことが柔らかく受け入れられている気もする物語です。それでも、全てを投げ出さず、この次、を彼らが志向していくことに希望を感じます。狭い世界観の中の美しい物語です。賢明な大人の見識が介在しないということが魅力であり、その淋しさも思うところではあります。いや、もうちょっと調子に乗ってもいいぞ、と言ってあげたいところなのですよ。