出 版 社: 岩崎書店 著 者: 山本悦子 発 行 年: 2016年05月 |
< 夜間中学へようこそ 紹介と感想 >
これからの人生で、今日が一番、若い日です。とはいえ、これまでの人生にはもっと若かった日があって、その頃にできなかったことが今さらできるとは到底、思えないものです。だから、七十六歳の女性がこれから中学生になる、という決意をしたことには、人生経験が長い人ほど驚嘆するのではないでしょうか。優菜のおばあちゃんは、小学校に満足に行くこともできず、中学校に通えなかったことを気に病んでいました。漢字がわからず、新聞を読むことも、手紙を書くこともできない。子どもや孫の名前も正しく書けない。ずっと辛い思いをしてきたものの、大人になってから中学校に通うのは、かなりハードルが高いことです。それでも、孫の優菜が中学校に進学するこの春、自分もまた夜間中学に通うことを、おばあちゃんは決意しました。その心のドラマを想像するだけでも背筋が伸びます。亡くなったおじいちゃんの巧妙なフォローのおかげで、おばあちゃんが漢字を読めないということにさえ気づいていなかった家族は驚きます。そして、心配するのです。何よりも、おばあちゃんが傷つくことになるのではないのかということを。そして、どこか恥ずかしさもある。優菜だって、おばあちゃんが中学校に通っているだなんて、友だちの前では、ちょっと口に出しにくいのです。人間には色々な葛藤や心の障壁があります。そうした複雑なものをちゃんと踏まえた上で、一歩進んで飛び越えていく姿が描かれていく物語です。そこに生まれる解放感が実に心地良いのです。この世界を狭くしてしまっているのは、自分自身の狭い考え方のせいかもしれない。よし、今日から始めてみようか、と自分の心に拍車をかけたくなる。そんな豊かな気持ちにさせてもらえる清々しい物語でした。
おばあちゃんが中学校に行けなかった事情を、優菜はなかなか理解できません。戦争は終わっていたのに、どうして学校に行けない子がいたのかわからないのです。貧しさや家の事情が理由だったとしても、おばあちゃんだって心から納得していたわけではありません。だから後悔とともに生きてきたのかも知れません。現代でも、学校に行けない子がいます。同じクラスの不登校の子と優菜は一度も顔を合わせたことがありません。事情はそれぞれですが、一度、失ってしまった学校に行く機会を取り戻そうとすることは難しいものです。人の心は折れてしまいがちです。それでも挑戦しようという気持ちを人が抱いた時、エールを贈ることで力づけられることもあるはずです。優菜は、おばあちゃんが通学中に足を怪我したため、付き添いとして一緒に夜間中学に通うことになりました。優菜が住む町から三駅、電車に乗ったところにある夜間中学は、日本語教室も併設されており、日本人よりも外国人の生徒の方が多く通っていました。優菜はここで、夜間中学に通う色々な事情を抱えた人たちと知り合い、親しくなっていきます。八十代のおじいさんもいれば、高校生ぐらいの年齢の男の子もいます。昼間は工場で働いて、夜、学校に通ってくるブラジルやフィリピンの人たちもいました。自分が通っている中学校とは違い、積極的に学びたいというモチベーションを持った人たちと親しくなり、優菜は感化されていきます。この場所で、おばあちゃんを助ける良い孫として、人気者でいられることに優菜が舞い上がってしまうあたりも、なんだか楽しいところでした。素直で純粋な優菜は、卒業資格のために夜間中学に通っている屈折した少年、和真と衝突します。人の気持ちを考えず、平気で人を傷つける発言ばかりする和真。人とうまくやることができず、昼間の世界からドロップアウトしてしまった和真が、この学校に通うこともまた挑戦でした。人を傷つけながら、自分も深く傷ついている。そんな和真と優菜が心を近づけていくプロセスも読みどころです。戦争を経験した世代が語る、重い言葉が教室に響きます。なんのために勉強するのか。どうして学校に通うのか。優菜にとって異世界であった夜間中学の教室が、昼間の中学校を逆照射して、その在り方を考えさせるあたりも興味深い点でした。
非常にセンセーショナルな作品であった『神隠しの教室』の直前に刊行されていた山本悦子さんの作品です。学校という場所が持つ閉塞感や暗黒面にアプローチしていく『神隠しの教室』との違いに、逆の順番で読んだ自分としては、やや驚いていました。共通するのは、人の心の綾をあからさまに描いているところです。ちょっと条理をこえたところにある複雑な心の機微もすくいとられています。この手練には参りました。どうしたらいいのかわからず戸惑ってしまうような、えも言われぬ感覚があります。とくに、和真という少年の感情表現や情動には気持ちをゆり動かされるものがありました。両作品ともに、人の心に潜んでいる「根深いもの」を感じとらされる物語ですが、本作では向日的な優菜の視線が捉えた世界であることで、コントラストをより意識できたし、ビターなものを孕みながらも、そこにある希望を感じとれたような気もします。ところで、この作品で良いなあと思ったのは、おばあちゃんが字を読めないことを、ずっと家族に気づかれないようにフォローしてきた、おじいちゃんの存在です。おばあちゃんが一人で字を読めるように教えてあげることが正しかったのかも知れないけれど、そんなふうにおばあちゃんのことを一生、守り続けていたというあたりがぐっときます。おじいちゃんの死後、おばあちゃんが学校に行こうと決意したことにも、心の機微を感じます。単純に言葉にできない気持ちが沢山詰まった幸福感のある作品です。自分も本を読んだり、文章を書いたりするのは、もう無理なんじゃないのかなと思いがちなのですが、ちょっと元気が出たので、ここまで書けました。そんな効用もありましたよ。