#マイネーム

出 版 社: さ・え・ら書房

著     者: 黒川裕子

発 行 年: 2021年09月

#マイネーム  紹介と感想>

挑むような目つきの女の子の表紙画が非常にインパクトがあります。この子が主人公の中学一年生、戸松明音(みおん)であることは、その胸につけられた名札「SGM」からも明らかです。この「怒れる少女」は、名前通り明るく朗らかで、その心の裡に抱えた悩みや不安を、友だちに見せることはありません。まあ、家庭の事情を学校に持ちこまないというのは、中学生の暗黙のルールなのでしょう。とはいえ、その「SGM」という名札には、明音の心に潜む怒りや悲しみが込められている、というのは大げさですが、少なからず不満の表明ではあるのです。のんびりとした地方の中学校を舞台にした子どもたちの物語は、ギスギスとした人間関係もなく、いたって穏やかではあるのですが、人が己の尊厳を守るためのアイデンティティの問題に言及していきます。キーになるのは「名前」です。自分はどんな名前を名乗り、どんな名前で呼ばれたいのか。それをあらためて意識させるきっかけとなったのは、学校で始まった「SUNさん運動」という、名字に、さん付で名前を呼ぼうというルールが敷かれたことです。大人の押し付けに反発するSNSでの呼びかけに呼応して、明音の自分探しが始まります。いや、それもまた大げさですね。穏やかな葛藤の物語は、主人公の明音のやや深刻な家族の問題を孕みながら進んでいきます。明るく楽しく、考えさせられる、現代(2021年)の社会情勢やトピックを背景に、中学生によるネットコミュニケーションなどを道具立てにした、今の時代を感じさせる物語です。

両親の離婚によって、坂上から戸松に名字が変わった明音は十三歳。中学校生活のスタートとともに戸松明音となった彼女は、同じ小学校から進学した同級生たちから気遣うような視線を向けられています。そのいたたまれなさと自分の新しい名前の違和感に追い討ちをかけたのは、「SUNさん運動」という名字にさんづけで人を呼ぼうという学校のルールです。こうなると、自分の名字がさらに強調されてしまいます。なんでも笑いに変えて学校生活をやり過ごしてきた、明るいタイプの明音ですが、これはちょっと穏やかではいられない状況です。そんな折、近所に新しくできたブックカフェに友人たちと立ち寄ることとなった明音は、ブックデザイナーでもあるカフェのオーナーの明日花さんに、ここでは自分の好きな名前で名乗るようにと言われます。明音が選んだ名前は「SGM」。友人たちの手前、「スーパーグレイト明音」の略だと嘯いたけれど、本当は旧姓である坂上(SG)を意識したものでした。さて、その夜、明音はMINE.comというSNSで同じ地元の中学生だけに呼びかけた「自分の名前がきらいなやつ集まれ」という公開トークルームを見つけます。ここに参加することにした明音が自分のニックネームをSGMに変更したのはどういう心境だったのか。#マイネームというハッシュタグで繋がったトークルーム(T R)には、やがて色々なニックネームの参加者たちが集まってきます。明音が気になっているのはT R主の「盟主ビオ」と名乗る人物のメッセージです。盟主ビオは、SUNさん運動を引き合いに出し、大人が勝手にルールを決めていくことを批判します。そして、学校の名札の代わりに、呼ばれたい名前を書いた、自分だけの名札をつけることを提案します。明音もまた、その運動に呼応して「SGM」と書いた名札を胸につけることにします。この一部生徒たちが引き起こしたムーブメントは、やがて学校を二分する騒動になっていきます。自分が自分であることの自由を守るために叫ぶこと。「名前」を通じて、中学生たちが考えを深め、成長していく物語です。

現在(2021年)、話題となっている選択式夫婦別姓などのあり方や、在日コリアンの通名や、そこからのヘイトなど、「名前」に関する社会的な論点が盛り沢山の作品です。また『星の王子さま』に「名前」がないことについての考察など、名前の持つアイデンティティについての様々なアプローチも興味深いところです。児童文学的には、隠された「真の名前」にこそ意味があるものです。真の名前を言い当てられることで相手に優位に立たれてしまうというのは、『トムチットトット』や『大工と鬼六』などの民話から『ゲド戦記』などのファンタジーでも常套となっていますが、「図星をつかれ」たり「本心を見抜かれる」ことの狼狽に通じるものではないかと思います。ここに現代における、真の名前とは何かを考えさせられます。子どもたちは、ネット上でのトークルームの中ではニックネーム(ハンドルネーム)を使い「正体」を隠しながら付き合っています。ここでの仮の名前は、自分を表すひとつの符牒にしかないのですが、自分の意思で選んだ自分であることの表明です。それをリアルな学校で名札として掲げることで、本当の自分を表明しようとする強い意志です。バーチャルな世界でのコミュニケーションとリアルが混淆する時、何が起きるか。ここに現代の、新たなアイデンティティの虚実が見えてきます。本書で登場人物の一人がSNSに投稿する詩の一節にある、名前を「火種」になぞらえたフレーズも印象的です。真の名前が、物議を醸すこともまたあります。人は自分の胸に潜めている真の名前を、どこまでオープンにできるものなのか。それは真の名前を表明できない「社会的抑圧」があることを強く意識させられます。舞台となっているローカルな地方の町は、のんびりして穏やかで良いなと思うものの、時に密すぎるコミュニケーションはプライバシーを疎外しています。明音の母親は離婚の心労から心を病み、心療内科に通っていますが、そのことは、この町では秘密にしておくべき禁忌なのです。それは当事者である母親をより追い込み、娘の明音の心にも影を落としています。それでも名前通りに明るく朗らかにいられるものか。なんでもオープンにすることが良いわけではありませんが、理不尽な抑圧から人は自由になっても良いのだと、子どもたちを励ます物語です。ところで、SGMって何かに似ていると思っていたのですが、MSG(マジソンスクエアガーデン)ですね。イミはないです。