出 版 社: ポプラ社 著 者: 渡辺仙州 発 行 年: 2020年01月 |
< 天邪鬼な皇子と唐の黒猫 紹介と感想>
「白紙(894)に戻す遣唐使」は年号記憶の語呂合わせの中でも傑作だと思っています。この物語は884年に始まります。つまり遣唐使が廃止される十年前。まだ日本と唐の間の往来に制限がかけられる前のことです。蘇州で人間に捕まり、唐から日本へと向かう商船に無理矢理乗せられた黒猫は、実は蘇州で二十以上もの猫の勢力を束ねる大物でした。人語を解し、兵法に通じて『覇王』とあだ名されていた、この猫。実は、四面楚歌でお馴染みの項羽の生まれ変わりなのですが、今生では、それほど野心があるというわけでもなく、蘇州で猫の王になってしまったのも、生来のキレ者である才覚のためであって、できればぐうたらしていたいという性格でした。荒れる海を渡り、遭難の危機にも遭いながらたどり着いた日本で、その黒々とした毛並みを役人に見染められた黒猫は、今上天皇に献上されることになります。太宰府から平城京へとさらに過酷な陸路を経て、ようやく着いた内裏で天皇に飼われることになった黒猫。やがて人語を解する彼は、この都の難しい政治情勢を知ることになります。臣下である藤原基経が政治的実権を握り、その勢力バランスのために五十代で天皇に就任することになった今上天皇(光考天皇)。対立勢力がしのぎを削りあい、いやがうえでも政争に巻き込まれることになる人間たちを眺めながら、クールな黒猫は気ままに暮らそうと思うものの、ついぞ、人間の世話を焼いてしまうことになるのが面白いところです。猫好きにはお馴染みの、宇多天皇が日記(『寛平御記』)に書き残した飼い猫とのエピソードがファンタジーになった物語です。歴史的事件の裏に人語を解する唐からきた黒猫の活躍があったという奇想。人間ののみならず猫たちのキャラクターもまた実にユニークです。
いやいやながらと言いながら猫を飼うことになったのは、今生天皇の子息である定省(さだみ)です。後に宇多天皇となり「寛平の治」と呼ばれる優れた治世を行った人物ですが、この時点ではまだ若輩であり、父が藤原基経に政治的に利用されていることにも憤りを覚えてもいました。天皇である父に黒猫を預かるように言われては、無下に断るわけにもいかず、家に連れて帰ったものの、一体、どう面倒を見たら良いものやら。さて、この家に落ち着いて、乳粥を与えられ、クロと呼ばれることになったこの黒猫。猫の本性で外をうろつくようになれば、自ずと、この地の猫たちの勢力争いにも巻き込まれていくようにもなります。そんなことには興味がないと言っても、闘いを挑まれば敵を退けなければならないもの。『覇王』の兵法で片方の勢力の雄を撃退すれば、もう片方もすり寄ってくる。京の都を二分する猫勢力の争いに巻き込まれながら、次第にクロは前世の記憶を取り戻していきます。優秀ながら人の信望を得ることができなかった項羽と違い、面倒なのはイヤだと言いながら、ついつい猫や人間たちに関わり、面倒を見てしまうクロ。父の崩御に伴い、一旦、臣下に降っていたものの、天皇の地位を継ぐことになった定省は、政争の場所に引き出されることになります。ここで有名な阿衡事件が起き、定視はより難しい局面に立たされることになります。ここで定視の窮地を救うことになるのがクロなのですが、定視との微妙な距離感のパートナーシップがどうにも楽しく、『寛平御記』のツンデレ感が大いに発揮されていくのが面白いところなのです。
人間に負けず劣らず、猫たちの闘争も、政治的な駆け引きや策謀が渦巻いています。そこにあるのは、あっけない死です。クロは二つの勢力の争いに巻き込まれながら、時に闘い、距離を置きながらも、この地の猫たちと親しくなっていきます。とはいえ、急に、猫たちは命を落とすことになります。クロはクールな死生観で冷ややかに世界を見据えていますが、情の厚さが垣間見えるあたりなど、どこか人間臭いところもあります。面倒くさがりで、何もやりたくないと言いながら、実は世話焼き。所謂、土方歳三キャラっぽいのです。熱く闘志をみなぎらせることのないまま、ヤレヤレと思いながら生きている、定省とクロはちょっと似た者同士のところもありますね。それにしても「天邪鬼(あまのじゃく)」という言葉は久しく聞かない気もしていました。宇多天皇の猫ツンデレなんて言い方が一般的になってしまっていて、逆転現象ではあるのですが、そんな古風な言い回しもまた床しいところです。多かれ少なかれ、なんらかの闘争の場所で生きていかねばならない我々です。死もまたあっけなく訪れます。だったら、ぐうたらでもいいじゃないと思いつつ、それでもちゃんと背筋は伸びている。そんな猫背もあったりするのです。天邪鬼のアンビバレントさはどうにも魅力的ですね。