妖怪アパートの幽雅な日常①

出 版 社: 講談社

著     者: 香月日輪

発 行 年: 2003年11月

妖怪アパートの幽雅な日常① 紹介と感想>

『妖怪アパートの幽雅な日常』は全十巻と番外編も刊行された大人気シリーズです。高校に進学したばかりの主人公、稲葉夕士は不思議な運命に導かれて、妖怪や幽霊が住むアパート「寿荘」に暮らすことになります。アパートで「この世のものではないものたち」と共存するかたわらで、普通の高校生生活を送る夕士の姿が描かれていくのですが、個性的な妖怪や幽霊たちと、さらに一筋縄でいかない不思議な大人たちに囲まれ、このおかしな環境や妖怪がらみの事件を通じて、次第に「考えを深めて」いきます。この物語には深化していく夕士の世界観や心の成長など、単なるコミカルなホラーではない魅力に溢れています。夕士が遭遇するのは人間の業や哀しみが形になったものであり、そこにはこの世界の暗黒面が垣間見えます。かと言って、その哀しみ沈んでいるだけではないのです。彼が住む「寿荘」には、母親に虐待されて死んだ子どもの霊(クリ)が成仏できないまま常駐してマスコット的存在になっていたり、小料理屋を開くのが夢だったホステスが客に殺されてバラバラにされ手首だけの幽霊(るり子さん)になって「まかない」をやっていたりします。それは非情でブラックな要素ではあるのですが、同時に「救い」となり、愛のある設定にもなっています。無常感を伴うエピソードは、おためごかしの帰結に落ち着くことはありません。そこで夕士が何を感じ取っていくのかが重要な点です。巻を経る中で、夕士は開眼し妖力を得て、妖や悪い人間と戦う力を得ながら、その力をどうコントロールするかも課題となります。自分の価値観をしっかりと持ち、この世の中とバランスをとることを夕士は学んでいきます。つまらない価値観に踊らされているくだらない大人たちを一刀両断する夕士の潔さも心地良いところです。中学生の時に両親を交通事故で亡くしている夕士には、どこか無常観が漂っており、この世界の虚無と非情さを感じとっています。人との関係も、かならずしも上手くいくわけではなく、わかりあえないまま物別れになることもあります。そうした陰が描き出されることで、生きることの光が強く浮かび上がってくる物語でもあるのです。

このシリーズ、ともかく美味しそうな食べ物が続々と登場します(別冊でレシピ本もあるほどです)。アパートの「まかない」である、るり子さんが作り出す料理が、なんともバラエティに富んでいます。それを夕士が大喜びして食べる場面がすごく良いのですね。とりたてて本編のエピソードとはかかわりがない場面なのですが、解決しがたい問題に直面して悩む夕士が、夜食にコロッケ丼を食べる場面があります(三巻だったか)。るり子さんが、昼間、クリのおやつのために作ったコロッケは冷めてもおいしく、衣もサクサク。これをレンジで温めて冷ご飯の上に乗せ、ソースを多めにかけて、たくわんと一緒に食べる。いや、食べようとする想像だけで気分があがっていきます。人の心の闇を突きつけられるような難しい問題に直面し、これから自分がどうしたらいいのかと悩んでいた夕士の気持ちがリフレッシュされます。『妖怪アパートの幽雅な日常』はともかく、食べることの歓びに満ち溢れた作品です。救いのない非情で無常な世界が描かれる一方で、美味しいものを食べることが(しかもそれは高価なものではない)、世界を明るく照らしていくのです。るり子さんのコロッケはおいしくなるように手が尽くされていて、それを「味わう」歓びがあります。色々と美味しそうなものが登場するシリーズではあるのですが、グルメ漫画とは違って、食べ物自体は何も問題を解決しません。それでも自ら美味しく食べることで、パワーを与えられる。そうした歓びを享受できることが、生きる力となるのでしょうね。

一風変わった大人たちや人間臭い妖怪たちのキャラクターも魅力的です。妖怪アパートには「洞察が深く視線の高い話題」を与えてくれる大人たちがいて、夕士を高めてくれます。『とりあえず朝飯を食おう。とりあえず。考えるのはそれからだ』、そう言って励ましてくれる大人たちの存在がとても心強く感じられます。夕士は胸を塞がれるような思いをすることもありますが、そうした交流の中で「生きる歓び」を味わうこともあるのです。人との関わりあいの中で、心のうちを語り合い、交歓することで得られるもの。妖怪や幽霊に囲まれていますが、本当に恐ろしいものは人間の業です。しょうがない人間たちに対しての失意が夕士には突き付けられていきます。そこで人間をあきらめることなく、自分は「もっと人間らしくありたい」と思うのです。『言えなところも悪いところも冷静に受け止め、その向こうにあるなりたい自分になろうと。もっとみつめたい。人間としての自分を。もっと磨きたい。自分という人間を』、それが、彼の願いなのです。十三歳で両親を失い、肩ひじをはって生きてきた夕士。それが妖怪アパートという、「普通」の概念を覆す場所で、自分の小ささを知り、世界を広げることになります。人生は無常です。あっけなく人は死にます。ただ、生きている時間をどう活かすか。いかに歓びとともに生きるか。そう問いかけてくる作品です。この世界には、絶対的な不合理もありますが、一方で、人の感じ方や気持ち次第で救われることもあります。人生は、「適当な感じ」で流してしまう「惰性」との闘いです。無常を知ってなお厭世感に陥らず、生きている時間を歓びとともに生きることができる。この物語が熱く伝えてくれるものの尊さを、今も思います。