出 版 社: 偕成社 著 者: 村中李衣 発 行 年: 1984年07月 |
< 小さいベッド 紹介と感想 >
小学六年生の菜々子は拒食症で入院しています。口から物を食べることができず、点滴で栄養を補給している状態。ろくに受け答えもしないから、四方菜々子という名前なのに、「しかたないこ」と看護婦さんたちから呼ばれているようです。ぼーっとした頭で過ごしている菜々子の目には、それでも病室の窓の外の景色が写っていました。毎日、決まった時間に白衣の男性が犬を連れて歩き、建物の中に入っていく。でも、何日かすると、別の犬に入れ替わっているのです。男性が犬と一緒に出てくるあの建物が、動物実験棟であることを菜々子は知っていました。あの犬たちは人間の手術や薬や注射の実験台。犬だからしかたない。そう思いながらも、菜々子はいつも通るあの犬に、ひそかにデブという名前をつけて、愛着を感じていました。デブだったのに、だんだんと痩せていくデブは、ついに姿を見せなくなってしまいます。菜々子は食事を運んでくれる年配の補助婦さんに、ご飯を食べるから、デブのところに連れていって欲しいとお願いをします。どうにも、この物語は明るい終わりを迎えられそうにありません。それでも人は生きていくし、涙はこらえなければならないのです。思うことしかできない。忘れないでいることしかできない。これからを、たくましく生き抜いていくことのでしか、越えられないことはある。気持ちの極まったところにあるものをえぐり出されるようなハードな読書を体感できる一冊です。
小児病棟を舞台にした連作短編集です。菜々子と実験犬デブの物語。亡くなったお父さんと同じ重い肝臓の病気で入院している、なつと、以前にお父さんと親交があった窓拭きの青年の物語。新米の小児科医、ヒラメこと平田先生が女の子に言うこと聞いてもらおうと奮闘する物語。自分のことばかりだった優等生が、入院することで、他の子どもたちに勉強を教えたり、小さな子を心配するようになる物語。おもちゃのラッパを持って病院を脱走する、ようこの物語。それぞれ味わい深い五つの物語で構成されています。そして、物語の終わりには、それぞれの物語が作られた秘密が明かされる、もうひとつの物語があって、入れ子構造を見せてくれます。物語が重くならざるをえないのは、ここが死にもっとも近い病院という場所であり、そこに、本来、死ともっとも遠いところにいるはずの子どもたちがいることです。目に入ってくるのは病気の自分と、他の子どもたちが病気で苦しんでいる姿。そんな子どもたちの視線を想像する時、見えてくる世界があります。この場所で、痛みをこらえながら、未来を生きるために治療を受けている子どもたち。時として、なげやりになったり、希望が見出せなかったりもします。心配そうに見守る家族や友だちに、どんな顔をして会ったらいいのか。子どもの心は複雑で、やるせない気持ちをたくさん抱えているのです。等身大の、ごく普通の子どもたちの闘病する姿を描く物語。ここに、美談はありません。野球選手とホームランを打ってくれたら手術を受けるよ、なんて約束をすることもありません。それでも、一人ひとりが世界と全力で闘うヒーローになりえる。ほんのささやかな事件を通して、この病院という特殊な場所でも、子どもたちは成長していきます。そんな伸びしろを持っているのが子どもです。辛い時間を子どもたちが、一歩ずつ確実に乗り越えていく姿が、静かに綴られていく物語です。
入院している子どもを中心にした物語ではあるのですが、親の姿もそこには垣間見えます。子どもが辛い目にあっている姿を見ながら、ただ励ますことしかできない切なさ。時にどうしようもなく、親が自分の無力を感じている姿を、子どもの視線を通して読者は知ることになります。親が、自分の前ではいつも気をはっているのだということに、子どもが気づいてしまう瞬間。それは成長のあざやかな証でもあるのです。子どももまた、人を思いやることができるようになった時に、すこしだけ階段をのぼることになります。身体は思うように動かせないままでも、世界をもう少し広げることはできる。心は次第に成長し、小さいベッドの上だけだった世界が、大きな広がりを持つこともあるではないかと。そんな希望を思います。村中李衣さんの初期作品は、驚くような世界観を児童文学の中で見せてくれます。『たまご焼きとウインナーと』あたりが折り返し地点のような気もしますが、僕が大人になってから、児童文学表現の可能性に震わされ、夢中にさせられていった作家さんの一人です。