出 版 社: 金の星社 著 者: K・ピアソン 翻 訳 者: 足沢良子 発 行 年: 1990年12月 |
< 床下の古い時計 紹介と感想>
児童文学におけるタイムトラベラーの主人公には共通する資質があります。繊細すぎて、友だちは少なく、家族とも軋轢があって、孤独。そういうタイプの子は、ここではないどこかに、行きたくなってしまいがちです。そして、心の迷走の末、迷いこむ場所が異次元や異世界ではなく、現在との地続きである「過去の時間」であることにも意味があります。そこには現在を変えられる可能性が潜んでいます。SFならば歴史改変のタイムパラドクスが取り沙汰されますが、児童文学ファンタジーでは、過去との遭遇によって変わるのは主人公の心情ぐらいなもので問題ありません。そして、そこから踏み出していく未来は、自ずと違うものになっていきます。過去の遺物に出会うことで、現在までの経緯や変遷を理解していくような象徴的なタイムトラベルもありますね。たとえば心を閉ざした人が、なぜ心を閉ざしたのかを、過去が明らかになることで知ることができる。複雑に錯綜してしまった現在を紐解くことができるのです。本書もまた繊細で親との関係に悩み、周囲と打ち解けられない十二歳の女の子が主人公です。タイムトラベルを導く小道具は彼女が偶然に見つけた古い懐中時計。うっかりネジを巻いたら、三十五年前の世界に入り込んでいたなんて、うっかりもいいところです。この懐中時計を手にしたことは本当に偶然だったのか。それもまた過去の時間が教えてくれます。
テレビのニュースキャスターの母親と有名ジャーナリストの父親を持つ十二歳のパトリシア。両親が有名人であるために注目を集めてしまうことが気づまりで、なるべく目立たないようにしていたいと思っている大人しい子です。両親が離婚することになり、その細かい取り決めをする間、パトリシアは一人両親から離れ、親族と一緒にこの夏休みを過ごすことになります。アルバータ州の湖にあるコテージは、母親の親族が古くから休暇を過ごす場所でした。良く知らない、いとこたちと過ごしても、打ち解けることができないパトリシアは疎外感を味わいます。内向的で、自分がのけ者のように思えて、みじめな気持ちを抱いてしまう。そして、両親の離婚もまたパトリシアの気持ちを苛んでいました。最愛の父親は他の女の人と暮らすことになりそうだし、母親の心も冷たくなっていると感じてしまいます。いつも支配的で、心を閉ざしている母親のことを、パトリシアはこわいとさえ思うようになっています。湖の別荘地で鬱々とした気持ちで過ごすパトリシアは、ある日の散策中にコテージの裏にある丸太小屋の床下から、鎖がついた円形の懐中時計を見つけ出します。そこにはパトリシアの祖母に贈られたものであることを示す献辞と、過去の日付が彫られていました。この時計はまだ動くのだろうかと、ねじを巻いたことで、パトリシアは幻のような不思議な光景を見ることになります。そこにいたのは、古い写真で見たことがある、母親や伯父たちの子ども時代の姿だったのです。
このタイムトリップでパトリシアは35年前の時間に入り込むことができるようになります。その世界では彼女の姿は誰にも見えません。今の自分と同じ十二歳の母親がこの別荘地でどのように過ごしていたのかを間近で見たパトリシアは、母親もまた、支配的な母親である祖母との確執を抱えて、みじめで寂しい思いをしていたことを知ります。祖母が、亡くなった婚約者から贈られた大切な懐中時計を、母親が床下に隠したのは何故だったのか。時を経て自分が手にした時計の由来を知ったパトリシアは、母親に祖母との関係性を取り戻すことを訴えます。母親に自分の気持ちをわかってもらうことができなかったパトリシアは、母親の子ども時代を知り、その気持にシンクロすることで、ようやく正面から対峙できるようになります。さらには当初、仲の良くなかった従姉妹とも親しくなり、急速な成長を遂げるのもまたタイムトラベルの効用であったのか。いや、それもきっかけに過ぎないんですよね。心のスイッチはどこかで押されることを待っているものです。本書は1987年にカナダで出版され評価を得た作品です。この作品より十年前に書かれた国内作品『星へ帰った少女』は、同様に、タイムトラベルして少女時代の母親に出会う作品で、母親のお古のコートのポケットに入っていた昔のバスの回数券が小道具になりました。洋の東西を越えて、共通する感覚が両作品にはあります。繊細なタイムトラベラーたちの活躍を是非、見守っていてください。