おいで、アラスカ!

ALASKA.

出 版 社: フレーベル館

著     者: アンナ・ウォルツ

翻 訳 者: 野坂悦子

発 行 年: 2020年03月

おいで、アラスカ!  紹介と感想>

この物語には「てんかん」の発作を持病として持つ少年が主人公(の一人)として登場します。まずは「てんかん」に触れているということ自体に驚かされました。ある年齢以上の方は筒井康隆さんの断筆宣言が「てんかん」についての表現に起因したものであることを覚えておられるかも知れません。関係団体からの抗議や出版社の対応、最終的な和解など、その騒動の一部始終が物議を醸した文学史に残る事件です。表現の自由と差別の助長など、問題の本質は置いておいて、世の中に与えられたのは、「てんかん」について公の場で触れることは避けておいた方が良い、というイメージではなかったかと思います。一方で、触れることで傷つく人がいるのなら触れない方が良い、という良識バイアスが「てんかん」について正しい認識を妨げるものになったのではないかと邪推しています。ということで、「てんかん」を題材にした児童文学が日本で翻訳刊行されることには、それだけで驚かされたのです。実際、この物語から「てんかん」について知ることは多く、認識を新たにさせられました。数年前に、飲食店で突然、昏倒したまま痙攣する人がいて、店内が騒然としたものの、数分後には意識を取り戻して、ごく平常の状態に戻られるという事態に遭遇したことがあります。この物語の主人公の発作と近い状況です。あれが「てんかん」発作だったのかは判然としませんが、偶然、その場に居合わせた人たちのパニックは相当なもので、自分も含めて、ただただ慌てふためきました。実際、あの発作が横断歩道の歩行中や、階段の昇降中に起きたらと考えると恐ろしさを覚えます。当事者が、あの発作にいつ襲われるかわからない自分を受け止めて、それを周囲に理解してもらうことの多難さを思います。さて、この作品は、難病にもめげず、飼い犬や同級生との友情を育んだ少年の美談、というベタな要約だけでは語りえない豊かな友愛の物語です。子どもたちが一筋縄ではいかないこの世界と対峙することで生じる、失望と希望がない混ぜになった複雑な気持ちと、それでもその先に輝く未来の予感を覚える温かさがここにあります。2021年の青少年感想文コンクールの課題図書。子どもたちはきっと、筒井康隆さんの断筆宣言には触れずに感想を書きはじめるのでしょう(そりゃそうです)。

中学一年生を最初からやり直すことになった十三歳の少年、スフェン。新学期初日を欠席し、最初の顔合わせの機会を逃していました。遅れて登場する彼には、最初にインパクトを残しておかないとならないと心に期すものがありました。そうでもしないと、自分は「かわいそうな男の子」だと思われてしまうからです。持病である「てんかん」の発作が起きれば、周囲を驚かせ、特別視されてしまいます。はじめが肝心。とはいえ、残せた爪痕は、同じクラスの変な女の子、パークスをからかったぐらいで、早速、発作を起こして周囲を唖然とさせることになります。一方、パークスは怒っていました。威張ったスウェンの態度や、彼に変なあだ名をつけられたこともさることながら、後日、自分の飼い犬だったゴールデンレトリバーのアラスカが、訓練を受けて、今やスフェンの介助犬になっていることを知ってしまったからです。弟のアレルギーのために手放さざるを得なかったアラスカに、今でも愛着のあるパークス。どうしてもアラスカに会いたいパークスは、夜、フェイスマスクで顔を隠し、スフェンの家に忍び込むという暴挙にでます。アラスカに会えたものの、スフェンにも見つかってしまったパークス。それでもフェイスマスクのおかげで、正体はバレていない。パークスはアラスカを手放した事情をスフェンに話すことになります。そして、どうしてスフェンに介助犬が必要なのかも知ることになります。突然の発作にスフェンが襲われた時に、警報ボタンを押すのがアラスカの役目なのです。パークスはまた深夜に訪ねてくることをスフェンに約束します。それは、少なからず、スフェンの気持ちを浮き立たせるものでした。女の子にそんなことを言われたら、年頃の少年としては嬉しくないこともないわけで。この正体不明の女の子が、同じクラスの変な女の子だとは知らないまま、スフェンは彼女が来ることを心待ちにするようになります。これはなかなかロマンチックな展開ですね。

さて、パークスとしては、学校では見せないスフェンのもう一つの顔と「てんかん」発作が引き起こす深刻な状況とそれを抱えている彼の心境を知ってしまい、複雑な気持ちを抱きます。いばったブルドーザーだけじゃなく、かわいいハリネズミでもあるスフェン。彼は一生を火星に縛りつけられて、自分のことをいつも人に説明しなければならないのです。学校ではイヤな奴だけれど、フェイスマスクの少女の前では弱虫な自分を告白してしまうスフェンに、パークスもその印象を変えていきます。フェイスマスクの少女もまた、スフェンに悩みを打ち明けます。パークスの家のお店が強盗に襲われ、お父さんが撃たれたこと。その怪我は治ったものの、強盗は捕まらず、お父さんは失意に沈んだまま働けないでいること。あらかじめ悪が勝つことになる理不尽な世の中にパークスも不信を抱いています。互いの胸のうちを語り合い、心の距離を近づけていく二人ですが、やがてスフェンは聞き知った情報を検索することで、フェイスマスクの少女の正体を突き止めてしまいます。ここからの物語の展開がまた面白いところです。どんなに嫌なことがあろうと、それでも人生は続いていく。原因不明で根治することもない病気にかかっていて、そして、さらに悲しい気持ちにさせられることが人生にはあるのです。愚痴をこぼしたり、精一杯虚勢をはったり、なけなしの対処方法で人生と対峙している子どもたちの姿が愛おしく思えます。それでも、人生を彩ってくれるものもまたこの世界にはあります。憐憫や同情ではないパートナーシップを子どもたちが見つけ出すまで。スリリングな展開や心の高揚と失意、ドキドキするような胸の高鳴り。明るく楽しいことばかりではない人生を受け入れて、それでも希望を灯していく。衝突しあいながらも友愛を築いていく、そのプロセスの確かさ。難病の子どもが友情で支えられる安直な美談じゃないんだってば、ということを声に大にして言っておきたい深遠で素敵な物語です。