金曜日のヤマアラシ

出 版 社: アリス館

著     者: 蓼内明子

発 行 年: 2022年06月

金曜日のヤマアラシ  紹介と感想>

サッカー選手の長谷部誠さんについて、スポーツに全く詳しくない自分でも、長年、日本チームのキャプテンを務められていたことや、恋愛破局報道の後、「THE END OF LOVE」と大きく書かれたTシャツを着て登場するぐらいナチュラルな人柄であることは知っています。さらに海外チームでの生活のドキュメンタリーなども見るに及んでは、その生真面目で実直な人柄も偲ばれました。この物語には、その長谷部選手が、登場人物の小学六年生男子の憧れの存在として登場します。しかも、長谷部選手がサッカーイベントで励ましてくれたことが、少年の心の支えになっています。手術をする勇気が出ない病気の子どもにプロ野球がホームランを約束するという常套がその昔ありましたが、現在(2022年)において、憧れのプロスポーツ選手が実名登場して子どもに影響を与えるというのも、なかなかポストモダンな展開です。さて、この物語の主人公は小学六年生の女子で、長谷部詩(ウタ)という名前です。たまたま長谷部選手と同じ名字である、ということが、同じクラスのサッカー好きのアウトロー男子にインパクトを与えます。単なる偶然ですが、知っている人と同じ名字や名前の人に、なんとなく思い入れを持ってしまったり、人物像を重ねてしまうことはあるものです。自分も以前に同僚だった繊細で聡明な方を思い起こしますが、一途な少年にとって、憧れの選手と同姓の同級生をどう思うかは、けっこうサムシングがありそうだし、一方で、自分には縁もゆかりもない長谷部選手と同姓だというだけで、同級生が妙な間合いで接してくる面映さみたいなものも面白いところです。この物語、友だちや親も含めて、「人との適切な距離感」がテーマになっています。タイトルからも想起されるように、思春期にはおなじみの「ヤマアラシのジレンマ」自体を考えるメタ物語ですが、やや良識からハズれているところが新機軸です。良識を蹴飛ばしてこその児童文学だと思います。この作品でも蓼内明子さんのすこしズレている魅力的な違和感が炸裂しています。

小学六年生の女子、詩(ウタ)は、動物フィギュアの原型士を仕事にしているお父さんとの二人暮らし。お母さんは四年生の時に病気で亡くなっています。お父さんと二人の夕食時に、なんとなく話題にしたのが、同じクラスの転校生の男子、桐林敏(びん)のことです。どうにもトゲトゲとしたその雰囲気。話しかけられても、そっけなく、いつもイライラしているし、挨拶しても無視される。まるでトゲだらけのヤマアラシみたいだというウタの言葉に、お父さんは興味を持ち、もっと敏の話を聞かせて欲しいと言います。仕方なくウタは、毎週金曜日の夕食時にお父さんに敏の学校生活についての報告をすることにします。そんな「家庭の事情」もあって、敏のことを気にかけるようになったウタは、彼の強気の態度の裏には、サッカーが得意なことの自負があるのだと感じとります。実際、敏のボールを扱うテクニックは、サッカーに詳しくないウタの目にさえ高度なものだとわかります。けれどサッカー部に入ることもなく、どこか寂しげに一人で帰っていく様子と、普段のトゲトゲした態度とのギャップにウタは疑問を抱きます。そんな折、ウタは敏から、家族か親戚にサッカー選手はいないかと尋ねられます。長谷部選手のことを知らないウタにはわけがわかりませんが、お父さんに話すと、ますます敏に興味を持ち、敏の事情やサッカーの実力をウタに探らせようとします。そこでウタが敏にボールを一人で蹴り上げ続けるリフティングが何回できるのかと尋ねたところ、自分では数えられないから横で一緒に数えて欲しいと言われるのです。こうして土曜日の公園で、ウタは敏のリフティングの回数を数えるようになるのですが、そこから敏が、今、本格的にサッカーに取り組めない事情を知ることになります、何度か一緒にリフティングをすることで、親密になっていく敏とウタの関係は、二人が気づかないまま、クラスに波紋を呼んでいきます。教室の不穏な空気に気づいたウタは、そして敏はどうふるまったのか。やがて物語に潜められていたウタの複雑な心の事情が明らかにされていきます。

思春期物語における「ハリネズミのジレンマ」は、個性の強い物語同士ぶつかりあいから、どのように歩み寄れるか、その相互理解と協調が焦点になります。お互いのトゲをどう受け止め合うか。そのあたり多くの青春ストーリーが生まれたところです(名手、遠藤淑子さんにはそのまま『山アラシのジレンマ』というコミックもありました)。本書では、敏よりもウタの方がやっかいなトゲを持っていることが次第にわかってきます。主人公であるウタ視点の物語であるために、その点に気付かされないまま物語が進行していくあたりもポイントです。ウタは社交性が高く、友だちとも上手くやっています。一方で孤独癖があり、というより、彼女には一人でいる時間が必要なのです。両親との関係においても、ウタは親密ではあるものの、フルコンタクトは難しいのです。要は、人と親しくはしていたいが、ずっと一緒にいることは難しい、という性分なのです。なので、友だちの誘いも断りがちになるのですが、その理由は人には分かりにくいし、小学生同士の関係でその微妙なニュアンスが、なかなか理解されるとも思えません。単に避けられているとしか思えないものでしょう。それなのにウタが隠れて男子と二人で仲良くしているなんて状況は、かなり悪印象を与えることになるでしょう。「家族や友だちとであっても適切な距離をとりたい」という感覚に誰もが共感を抱くかと言われると、僕は難しいと思います。この物語、凄いと思うのは、そんな自分の感覚を紐解いて学級会で説明して理解を得るという展開です。ウタ自身もそんな自分に葛藤があり、母親の末期の際にも距離を置いてしまったことに苛まれてもいます。それを越えての帰結です。どんな大好きな人とだって、四六時中一緒にいるのは難しいし、一人の時間を踏まえないと良好な関係を保てないものです。そんな理屈は屁理屈として容認されない世界もあります。完全に理解し合えないまでも、辛うじて容認してもらえる程度で、関係を長く続けることも選択肢の一つですね。そんな人間関係の命題を小学生にぶつけてくる地味な問題作です。それよりも気になるのは、ウタがお父さんんの影響で、敏のフィギュアを作ろうと思いたち、敏の等身バランスを知ろうと画策するあたりです。同級生が自分のフィギュアを密かに作っているという、かなり気持ち悪いシチュエーションです。下手をすれば異常者扱いされかねないところです。ここには原型士のお父さんのフィギュア作りにおける対象への関心の向け方について影響があってのことで、まずはそこからウタは説明を始めます。ラッキーなことに、ここは「話せばわかる」世界です。いや、現実では、絶対、誤解されるから伏せておいた方がいいぞ、と忠告したくなります。共生と相互理解と程よい距離感についての、実に悩ましい物語です。