出 版 社: くもん出版 著 者: 岩崎京子 発 行 年: 2009年06月 |
< 建具職人の千太郎 紹介と感想>
岩崎京子さんの「鶴見もの」です。以前に横浜市の鶴見区に住んでいたので、生麦や小安、川崎など、登場する鶴見近隣の地名には実感があるので親しみやすいものでした。江戸時代末期、19世紀初頭の鶴見は、東海道に近いとはいえ宿場町の合間にあって、僕の知る鶴見よりも更に何もないところのようでした(現在は文化財となっている、広大な総持寺も大正時代に建立されたものです)。この物語の時間の約半世紀後に歴史的な外国人殺刺事件が起こる村、生麦。ここも当時は、海にやや近いただの農村です。その貧しい農家に生まれた、おこうと千太郎の姉弟は、口べらしのために鶴見の建具屋、建喜に奉公に出されます。そこで二人が経験する、職人の世界の厳しさと温かさ。実直に生きていくということが礼讚された背筋の伸びた物語です。
生麦の貧しい農家の娘、おこうが、家を離れ住み込みの奉公に行くことになったのは、かぞえで十歳のこと。建具屋の建喜は、組子細工の名人である喜右衛門が多くの弟子を育てながら商売をしている一本筋の通った大店でした。下働きのおこうがこの職人の家で、なんとか一年頑張って働いたところに、今度は弟の千太郎が父に連れられてきます。この時、千太郎はわずか七歳。遊びたいさかりの年端のいかない子どもが職人に弟子入りということで、気が気でないのは姉のおこうの方。わけがわからぬまま、まるで鬼が島に放り込まれたような徒弟生活を、千太郎は懸命に勤めていきます。姉に見守られ、兄弟子たちに助けられ、ばくち渡世から足を洗った喜右衛門の息子の秋次と心を通わせながら、精進していく千太郎の日々。無器用で、のみ込みがいいとはいえない千太郎が、すこしづつ職人としての技術やスピリットを身につけていく過程が語られていきます。腕を磨き、人としての器量を身につけていく、そんな芯の通った職人の生き方を少年が愚直に学んでいく姿を見守ることができる心地良い作品です。
やぼで無器用で、のろま。目端がきくタイプじゃない千太郎が職人になるには苦労が伴います。無器用なりにも丹念に仕事をすれば道は拓ける。周囲の励ましの声を素直に受けて、千太郎は努力を続けます。自分の出来なさ加減に、大いに呆れながらも修業を続けることの意味を思います。向いてないなと思うことをやらざるを得ないのが人生。それでも逃げないことで、できないなりに見つかるものがあるのかも知れない。今更ながら、自分に重ねて、励まされるように読んでいました。課題図書であった本書は、読者の小学生たちにどう響いたのか。作者の岩崎京子さんも、挿絵の田代三善さんも、ともに1922年の生まれ。大正生まれのお二人が語り継ぐ物語には、時代を越えて残していきたい、真っ直ぐな気持ちが満ちていました。