コロッケ少年団

出 版 社: 国土社 

著     者: 赤木由子

発 行 年: 1974年07月

コロッケ少年団  紹介と感想>

小学四年生の少年、シン。あだ名は「ほろ馬車」。小学一年生の頃はベルトに二丁拳銃を差していたという、どこかガンマンのような雰囲気がある少年です。そんな頓狂なシンの紹介から始まるこの物語はかなりハイセンスなユーモアに貫かれていて、笑いっぱなしでしたが、ギャグなのか本気なのか今ひとつ判別がつかないところがあるのは時代感覚の違いのせいか。シンの友人で太っているダイスケのあだ名は「ドラムカンブイブイ」。「発狂イタチ」というあだ名の人も登場しますが、ワンダーなセンスすぎやしないか。そして物語も「子どもたちが自発的に組織化されること」を礼賛するのがテーマです。この作品、自分が育った時代のリアルタイム児童文学のはずなのですが、当時は読んだことがなく、今、初めて読んで、そのセンスに圧倒されています。まず「少年団」活動というものが物語のベースにあります。異年齢集団を組織して年長者がリーダーとなり、時には大人の指導員についてもらい、一緒に遊んだり、イベントをやったりする。こうした少年団活動が盛んだった地域があるようです。自分が育った地域では集団登校時の「登校班」がこの機能を果たしていて、イベントも多かったのですが、それもこれもベビーブームの子どもが沢山いた時代の昔話なのでしょう。物語はシンとダイスケが、そんな少年団を組織する苦労話です。ディテールの面白さに加え、成り行きがどうにもぶっ飛んでいて、不可解で、それでも上手く収まってしまう楽しい物語です。なんか腑に落ちないながらも、子どもたちの歓びに溢れている。自分にとっては理想の児童文学作品でした。

いちょうの木少年団の会計担当だったシン。彼は六年生の団長たちが中学受験のため活動を縮小させている間も、会計として責任を持って五人の団員から団費を集め続け、そしてそれを全部、使い込んでしまうという不正をおかします。使途はコロッケの買い食い。1個30円のコロッケを570円分も食べてしまった「コロッケ気ちがい」なのです。それが久々の団会でバレてしまい、いちょうの木少年団の結束ももはや決裂して、解散を余儀なくされました。責任を感じたシンは、ダイスケと一緒に自分たちで新しい少年団を作り、組織を大きくして、団長たちに戻ってきてもらうことを心に誓います。こうしてコロッケ少年団が誕生したわけですが、ネックになるのが継続的な活動を支える指導員という大人の存在です。いちょうの木少年団では指導員を見つけることができず、それが活動を停滞させる要因となりました。偶然にも、広場で相談中の二人の目の前に、修理工の青年、透が木の上から落ちてきて尾てい骨を打ちます。透を助け起こした二人は、彼に指導員になることを了承してもらいます。わずかながらも団員を集め、指導員も揃ったコロッケ少年団は結団式を催し、活動を開始します。たとえその活動が、ウインナーとコロッケを食べて寝ている、ことだっていいのです。少年団を続けることに意味がある。少年団活動に躍起になるシンとダイスケは、結構、無茶をやるのですが、バカバカしくも真面目で、それでもなんとなく感動的に物語がエンディングを迎えていくあたり、非常に楽しい一冊です。

物語のもう一つの軸は、子どもたちに指導員になることを依頼された透という青年の心境です。通信高校を卒業して田舎から出てきた透は、自動車修理工場で働きながら、資格取得を目指しています。社員寮を出て一人暮らしを始めたものの、恋人も友達もおらず、寂しい思いをしていました。透がすこし眩しく思っていたのが、会社の組合の人たちです。労働問題を談判するだけでなく、一緒に遊んだり、勉強会をしている彼らに、どこか羨望を覚えている透。組合活動は面倒だと思っていたし、上司からも組合に入ると出世に響くと反対されています。とはいえ、木から落ち、尾てい骨を痛めて会社を休んでみて、今まで付き合ってきた人たちのそっけない態度に密かに傷つきます。そもそもの自分の存在意義を疑い始めた透は、子どもたちに指導員を頼まれたことに気持ちを引き寄せられていきます。そして、故郷の友人で、今は東京で医大生になっている「発狂イタチ」こと昭人が、こうした子ども指導の支援活動していたことを思い出し、会いに行こうと考えます。高度成長期の地方出身青年の青春の孤独というか、人としての孤独がここに描かれています。とはいえ、それを埋めるものが「集団活動」である、と手放しな回答を現代は口にしにくいものです(この時期、地方出身の若者たちを受け入れる場所となったのが新興宗教であったとの言説もあります)。オルグ的なものによって個人が集団に取り込まれていくことの暗黒面が意識される現代です。一方で人が孤独になってしまがちなのは、良く知りもしないまま、やみくもに「集団活動」を忌避する風潮があるからかも知れません。自分もまた集団や組織に対する警戒感が強く、一方で寂しい思いもしている人間です。孤高を選ぶのには覚悟が必要だ、なんてうそぶきながらも、人と手を繋ぐ勇気があったら人生は幸せだろうなと思っています。なので、この物語のテーマは今読むと、かなり複雑なのです。それでも、子どもが異年齢集団で遊ぶことの意義は現代も変わらないかな。大通りにストアが進出して冷凍コロッケが売られるようになり、町のコロッケ屋は危機を迎えています。高度成長期、物価も急上昇しています。コロッケ屋のコロッケも10円から30円に上がりました。子どもの目に見える社会経済の変化があります。便利になることの反面、失われることもある。そんな世相が垣間見える物語です。