出 版 社: 金の星社 著 者: 真田コジマ 発 行 年: 2011年09月 |
< 教室 紹介と感想>
「絆」という言葉が2010年代に大きな意味を持ったのは、東日本大震災の復興支援のキーワードであったからです。絆とクビキは同じだとか、うがった意見もありますが、連帯と相互扶助を呼びかける上で重要な役割を果たした言葉でした。一方、文学は人と人との繋がりについて、ベタで塗り潰さない淡い感覚の揺らぎを描き出すものであり、微かな共感や共鳴が響く物語空間が身上です。クラスで一丸となって何かを成し遂げたり、共通の困難を克服することは人の心を結びつけるものだと思いますが、一見、バラバラのようだけれど、それでも繋がっているぐらいの匙加減がもたらす妙味もあります。逆説的な物言いですが、互いに孤独だということで共感を覚えることもあると思うのです。例えば文章を書くことは孤独な作業ですが、そうした一人の時間と闘っている者同士だからこその連帯感はあるのではないかと。読書もそうかも知れません。一緒に何かをするわけではないけれど、共鳴できる。小学校の教室はそんな場所だったかどうか。本作は複数の子どもたちを群像劇的に描き出した連作短編集です。それぞれの物語が繋がり、醸し出されるハーモニーが全編を読み終わった後に響いてきます。
尖った物語が続きます。両親が仲違いし、離婚することになった卓也は、パート先の上司と母親の関係を疑い、上司の娘の二年生の女の子から父親のことを聞き出そうとします。変質者に誘拐された体験から心を閉じてしまった同級生の女の子に近づこうとする明日香や、熱に浮かされたように従兄弟を偏愛してライバル女子と争そう有紀。年の離れた妹が生まれたことが疎ましく、誘拐されればいいとベビーカーを放置した貴広。家の貧しさや家族の死など、それぞれ心の事情を抱えながら、物思いに沈んでばかりもいられない子どもたち。自分の存在が揺らいでいて、バランスがとれなくなりながらも、そこから常軌に立ち返る気づきがあり、少しだけ前を向く加減が良い塩梅です。教室の一人一人を語り手とする群像劇的な児童文学には、それぞれの心境を俯瞰的に眺められる面白さがあります。孤独癖がありながらも、孤立感に耐えられないという狭間で、人と上手く付き合おうと無理をする子どもが国内児童文学では描かれがちですが、本作はわりとマイペースな子どもたちが登場し、どこか微妙に健全ではない感じもいいのです。小学五年生は非常に難しい時期であり、無邪気ではいられなくなる季節です。そんな「迷える同志」がいる場所としての「教室」で、あえて手を繋がないまま共鳴することもあるのではないかなと。友だちが程良く支えてくれている。依存せず、無理な協調もせず、お節介もやかない。そんな距離感が心地良いところです。
印象的だったのが、非常にイヤな教師が登場することです。住んでいる地域で生徒を差別したり、侮蔑したり、子どもを傷つけることを平気で言う中年男性の教師。実際、こういう人が自分の子ども頃にもいました。一見ヒールだが実は良い人、なんてことはない、本当にイヤな人です。良かれと思って苦言を呈しているのか、ご本人の真意はわからぬところなのですが、この物語では無神経の権化のような存在です。この連作短編を通じて登場するこの悪役が子どもたち共通の敵になっていることで、それぞれの問題と対峙している子どもたちに陰の連帯感をもたらしています。またこのイヤな教師のカウンターにいる若い女性教師の水島先生の存在感が子どもたちに与えているものとの対比も意識させられます。この身近な大人を見る目が、子どもたちの価値観に統一感を与えています。最終章の水島先生を主人公としたエピソードでこの物語が完結する展開とも呼応していて、一見バラバラの物語に繋がりがあることを読み終えて感じるという、非常に良くできた構成の物語でした。