おれたちのはばたきを聞け

出 版 社: 童心社

著     者: 堀直子

発 行 年: 1980年06月


おれたちのはばたきを聞け  紹介と感想 >
中学二年生の男子、風間信一はモヤモヤとした衝動を抱えています。力は余っているのに、何をやったらいいのかわからない。学校の先生は受験のプレッシャーをかけてくるけれど、勉強だけが人生のようには思えない。父親みたいに上司にごまをすって、ペコペコしながら出世するなんて考えられない。友人のジュンペイは作家を目指しているし、テツは農学博士になりたいなんて言っている。将来の夢もなく、何をやったら良いのか見えない信一は、焦りを募らせています。やみくもにギターを弾いて歌ってみても何も変わらない。高校生の姉のミドリはアルバイトをして買ったリンガフォンの英会話テープを四六時中聞いては、同時通訳になるための勉強に懸命です。受験校で優秀な成績をとっているのに、周囲の反対を押し切ってでも大学には進まず、通訳の専門学校に行くことも決めています。そんな生き方もある。くだらない場所にしか思えない中学校。成績をあげたり、受験をガンバルだけがやるべきことなのか。悩める信一の前に現れたのは、産休代替の国語教師、ユウレイこと有村れい先生でした。若い女性の先生ではあるものの、かなりの変り者。海の藻のような髪、どこか遠くを見ているような瞳。年齢は二百三十歳、恋人は鬼、なんてデタラメなことを言うし、幽霊や妖怪の話ばかりをする不気味な先生。答えを覚えさせるのではなく、考えさせようとする授業。受験勉強が一番大切なものじゃない、なんてことを言いだすのも、先生としてはどうかしています。信一たちは警戒しながらも、この妙にハスに構えた不思議な先生に、次第に惹かれていきます。

姉のミドリがアルバイトをしていた喫茶店で信一が出会ったのは、ミドリの中学の頃の同級生、田上さんでした。エリート一家に育ち、学校一優秀な成績で有名高校に進んだのに、あっさりと学校を辞めて、プラスチックの塗装工場で働いている田上さん。恋人を後ろに乗せて、750CCのバイクを乗り回している暴走族のリーダーの田上さんの生き方に、信一は強い憧れを抱きます。自分も突っ走って、風になりたい。むしゃくしゃした気持ちを抱えていた信一は、田上さんに相談をします。しかし、田上さんから聞かされたのは意外な話でした。進学した高校ではまったく成績が振るわなかったから学校を辞めたのだとか、バイクで走っていても一瞬の気晴らしにしか過ぎないだなんて、信一の憧れを打ち消すようなことを言うのです。そして、信一の姉のミドリのことがうらやましいだなんて言われてしまいます。ふに落ちない信一は、田上さんのバイクの後ろに乗せてもらいます。かっこ良く、風を切って走る。その爽快感に身を任せる信一。これのどこがいけないのか。しかし、突っ走る二人は、思わぬ事故に遭遇することになります・・・・・。

十四歳。中学二年生というやっかいな時間。過剰なむき身の自意識の収まるサヤがないまま、心の暴走が繰り返されます。信一は、俺には霊感があって人の心が読めるんだ、なんて妄想にアイデンティティーを求めていますが、脆いプライドを支え続けることは大変です。尊大なくせに弱気。鬱屈した思春期の気分のはけ口は、かつては家出だったのかも知れませんが、この年代となるとバイクです。風をきって走れば、なにか答えが見つかるような気がする。でも、中学二年生は、まだ免許もとれない助走以前の段階なのです。コンピュータがはじきだす受験志望校の適性診断に一喜一憂しなければならないなんて真っ平。もっと自由に生きていきたい。働いて生きていくとはどんなことかを知らないまま、大人を軽く見て、そんなふうにはなりたくないと言う。それもまた思春期ならではの心理ですね。一方、この物語には世の中の是否をはっきりと明言する大人たちが、中学生の視線の先に愚鈍な敵役として登場します。ただ、物語を見るかぎり、彼らは大人としての役割をきっちりと果たした人たちです。生徒のことも、若い有村先生のことも、ちゃんと叱ることができる。社会規範として良識を守る大人たちがいるからこそ、有村先生のような真理をうがつ異分子も中和されるのです。口うるさく言うなんてことは、本来は誰でも嫌なことです。できれば人が嫌がることは言いたくない。子どもをダメにしてはいけないという気持ちからの厳しい叱責は、大人としての責任感のあらわれではないのでしょうか。たしかに、大人はわかってくれない時代かも知れません。でも、大人がデタラメすぎる時代よりはいいと思うのです。