ぼくの帰る場所

Running on Empty.

出 版 社: 鈴木出版

著     者: S・E・デュラント

翻 訳 者: 杉田七重

発 行 年: 2019年10月

ぼくの帰る場所  紹介と感想>

自分の子どもの頃の失敗を思い起こすと、反省点として浮かぶのが「短慮」という言葉です。今にして思うと、方向性が間違ったことを沢山やっていて、呆れるほどなのです。もうちょっと考えて行動すれば良かったのにと思います。汗疹に筋肉痛の薬をガマンして塗り続けて悪化させたことがあったり、ガラ物を洗濯する際に、他のシャツを染めてしまったりとか、家事の失敗は沢山あります。どうして、そんなことばかりしていたかというと、そういうことを教えてくれていた母親が亡くなってしまって、見よう見まねの半端な知識で、一人で対応しようとしていたからです。父親に聞けば解決することだったわけですが、仕事で出かけてばかりだったし、どこか自分が解決せねば、という克己心もあったのです。揚げ物へのチャレンジなどは苦闘の連続だったのですが、注意点やコツがわかっていないと相当、苦労するものだし、子どもがやるにはかなり危険です。それでも、やってしまうのは、自分がなんとかしなければと思っているからで、そうした子ども心に物語で遭遇すると、今も疼く気持ちがあります。ということで、この物語の主人公である十一歳の少年、AJが、自分で家の問題を解決しようとして、間違った方向性に進んでいくことに、もどかしさと同時に、労しさを感じていました。AJが他の大人に家の問題を相談できないのは、家の状況がバレたら困るからです。AJの両親には障がいがあり、普通の人ができるようなことができません。送られてきた請求書に戸惑うだけで、とりあえず引き出しの中にしまってしまうような人たちです。電気を止められても対応できないとなると、普通の生活が立ち行かなくなるわけですが、そこでAJが考える苦肉の対応策の方向性もまた間違っているという、これは、一体、どうしたら良いんだろうという状況です。この悪循環を断ち切るには、AJが他の大人を信じて相談する、という解決策しかありません。普通、事情を汲んでもらえるものだし、AJが恐れるような悪いことには、そうそうならないものです。とはいえ、そこにいたるまでには必要なプロセスがあります。十一歳の少年の心の逡巡こそが、この物語が魅せてくれるものです。頑なだった気持ちがほどけて、少し安心してこの世界と打ち解けられるようになる。少年が自分の帰る場所を見出すまでの物語を、是非、心配しながら、見守っていて欲しいと思います。

両親には学習障害がある、とAJは冒頭から語っています。ケーキづくりの名人で世界一やさしいお母さんと、極度な心配症だけれど、お母さんを誰よりも愛しているお父さん。書類整理や現実的なトラブルへの対応能力がない両親に代わって、家のことを面倒見てくれていたのが、お母さんの父親である、おじいちゃんでした。おじいちゃんは元陸上選手で年をとってもずっと走り続けていました。おじいちゃんの影響でAJもまた走ることが好きになっていました。そんなおじいちゃんが突然に亡くなってしまったことで、AJは二つの問題と向かい合わなければならなくなります。ひとつはおじいちゃんを亡くしてしまった悲しみを乗り越えなくてはならないこと。もうひとつは、これまでおじいちゃんが担っていてくれた、現実的な対応をAJがやらなければならないことです。とはいえ、十一歳の子どもが容易にこなせるようなことではないのです。親戚や学校の先生に相談する、という選択肢があるはずですが、両親が自分を育てられないことがバレれば、施設に入れられ離れ離れになってしまうことをAJは懸念しています。AJは叔父さんのタイラーも、学校の先生も信用していません。両親はおそらく、学習障害(LD)だけではなく、もっと広汎な発達障がいがあることは伝わってきますが、AJ自身もその状況を良くわかっているようです。成長期で足の大きさがシューズに合わなくなってきて、うまく走ることができないAJは、シューズが買えない経済的な理由を、体育の先生に説明することはできません。両親を愛しながらも、両親の存在に困ってしまっている状況がAJにはあり、時には自分をコントロールできなくなり、癇癪を起すこともあります。誰にも苦衷を打ち明けられないAJの気持ちを、それでも周囲の大人たちが察して、さりげなく手を差し伸べてくれることは救いであり、そうした気持ちに、AJの頑なな心が紐解かれていく様子が、淡々と描かれるあたりに妙味がある物語です。これ、人から大仰に助けられると、ありがたいのだけれど、ちょっとした惨めさを感じるもので、なんか泣いてばかりいたよなあと、昔のことを思い出しました。人の善意に自分をゆだねるということは存外、難しいことなのだと思います。肩肘を張ってしまうのは、自分に負けないためです。とはいえ、子どもには克己心を持ちながらも、それでも大人を信用して方向を見定めて欲しいものですよね。AJは迷いながらも帰る場所を間違えることがなかった。それはとても、嬉しい結末でした。

この物語を読んでいて思い出したのは、『ルイジアナの青い空』です。知的障がいがある両親を持つ十二歳の少女、タイガーが、家族の生活を支えてくれていた祖母を失い、途方にくれながらも自ら行動を起こして家族を守ろうとする物語です。両親の障がいの度合いがやや違う部分もあり、一概に比較はできないのですが、こうした立場に立たされた子どもが、どんな気持ちを抱き、家族への情愛を確かめていくのかは共通するところがあるかと思います。こちらの作品の方がストレートに情感が表現されている部分が強かったかも知れません。同じく杉田七重さん訳の『レモンの図書室』で、子どもながら家族をケアしている「ヤングケアラー」に対する社会的支援を知りました。実際、こうした立場に立たされている子どもは少なからずいるのだろうと思います。親をどう助けたらいいのか、ということを、親に教えてもらえるわけではない、という状況が子どもをどれほど困惑させるのか。社会的な支援の拡充を考えたりするのですが、児童文学としては、この戸惑う心のいたわしさが表現されていることに魅力を感じます。ああ、そういうものなんだよなあ、と子ども時代のどうにもできなかった自分の無力さなども思い出されて、突き刺さってきます。このテーマはどうにも胸に沁みるのです。