日曜日の王国

出 版 社: PHP研究所

著     者: 日向理恵子

発 行 年: 2018年03月

日曜日の王国  紹介と感想>

ちょっとした一節にも心を奪われます。豊かな表現力で散りばめられた言葉は、流れるように文章を紡ぎ、読んでいて心地良くて、浸ってしまいます。『しとやかな、深い赤の矢じるしが、坂の上をしめしている』なんて、平易なんだけれど、どきっとさせられるフレーズや、リズムの良い切れのあるセンテンスなど、読み心地の良さが魅力的で、そこから描き出される物語世界の質感を巧みに演出しています。絢爛な言葉の粒で飾られるクライマックスは注目です。そして、この不思議な物語は、通弊した意味でのメルヘンではなく、どこかに翳りを帯びた国内児童文学ファンタジーの系譜にあって、大井三重子さん、安房直子さん、立原えりかさんから竹下文子さんなどに連なる、かつての陶酔させられた物語たちに思いを馳せてしまいます。物語の基点にあるのはリアルな問題です。特に理由を自覚することもないまま不登校を続ける小学五年生の女の子、繭。心理的な障壁から学校に行くことができない彼女の現実的な焦燥から始まる物語は、一歩、外に出て、次第に不思議な世界に足を踏み入れていくことで変わっていきます。そこは幸福な場所なのだけれど、説明がつかない不思議な世界です。日曜日にだけ存在する奇跡の場所。蠱惑的な、もうひとつの世界にとらわれて帰ってこれなくなってしまう、というのはかつてのファンタジーの常套でしたが、終わらない不登校生活という「永遠に続く日曜日」に彼女の現実があるという前提が、ハーモニーを輻輳させ、さらにそこにもうひとつの旋律が重ねられていく構成が圧巻でした。面白い。見事で、ただただ感心した作品です。

いじめられたわけでも、いやなことがあったわけでもないのに、繭が学校に行けなくなったのは小学四年生の時。五年生になった今も理由のないまま不登校を続けている繭を気づかって、お父さんも、散歩に出かけてみたらと言ってくれます。それでも学校に行かないのに平日の昼間に外に出ることを繭は後ろめたく感じるのです。そんなある日、繭は部屋の窓から見た道路に深い赤色の矢印が浮かんでいること気づきます。日曜日だから良いのではないかと、恐る恐る外に出た繭は、その矢印の示す方向に進んで歩いていくと、〈ギャラリー・額装・画材 日曜日舎〉というお店に行き当たります。そこでは、日曜日にだけスケッチクラブが開催されているだと言います。何故か部屋の中でも雨傘を差しているオーナー。生きて動いているシシリーという人形や、同じくキツネの剥製のレモン。全身灰色で空を飛ぶ少年マグパイなどの不思議な存在に混じって、咲乃さんというおばあさんさんや、女子高生の蝶子さんもいます。誘われて、ここに通い絵を描くことになった繭。不登校になる前はお母さんと一緒に美術館に絵を見に行くことが好きだったのです。お母さんにも許可をもらい日曜日ごとにスケッチクラブに通うことになった繭は、絵を描くことで、少しずつ自分の心を解放していくことができるようになります。ところが、スケッチクラブの時に日曜日舎で買ったパレットを忘れて家に帰ってしまい、取りに戻った時、日曜日舎の本当の姿を繭は見てしまいます。「日曜日だけを生きる者たちが集まるギャラリー」という日曜日舎。そこは時間の流れも違っています。その不思議を不思議なまま受け入れて、繭はここで新しい扉を開いていくことになるのです。

物語のもうひとりの主人公は、スケッチクラブに通う女子高生の蝶子さんです。絵が好きで、美大を目指しているという彼女は、繭にも親切に指導してくれます。蝶子というペンネームを名乗り、本格的に絵に取り組んでいたのに、家の事情で引っ越しをしなければならなくなり、絵の道に進むことも断念しなくてはならなくなります。スケッチクラブのイベントである作品展を楽しみにしていたのに、参加できなくなった蝶子さん。(ここから先はネタバレなので要注意なのですが)繭はやがて、蝶子さんが、この場所の狂った時間の中で会うことができた、高校生時代のお母さんなのだということに気づきます。絵を断念してしまった蝶子さんは、その後、どうなったのか。結婚をして、絵を描かない普通のお母さんになって、お休みにも仕事が忙しいお父さんがいない家で、繭と二人、永遠に日曜日が続いているような日々に閉じ込められている苦衷が次第に明らかになっていきます。このお母さんの閉塞感を繭が感じとって影響されていたことや、お母さんも言葉からその心中が次第に垣間見えてくるあたりには震撼させられます。ただ、昨今の難しい母娘関係を描いた児童文学作品のような形ではない、別の展開が物語には待っています。星空に絵を描く即興の作品展のファンタジックな光景と、そこに招待された繭のお母さんになった蝶子さんの時間が重なる瞬間こそがクライマックスです。スケッチクラブの終焉とともに、新しい家族のステージが始まり、繭もまた一歩を踏み出していく予感と余韻が素敵な物語です。日曜日舎にまつわる過去も明らかになるラストはなんとも不思議な気持ちにさせられます。怖くない。けれど明るく朗らかなだけではない、この陰影に、入念に描かれた一枚の絵画のような趣を感じる傑作だと思います。