キャンドル

出 版 社: フレーベル館

著     者: 村上雅郁

発 行 年: 2020年12月

キャンドル  紹介と感想>

このサイトの古い記事には21世紀の初頭に書いたものもあるので、今書いているレビューも数十年後に読んでいただく可能性も考えています。百年後でもサーバーが維持されていればなんとかなるかなと。それが児童文学作品を未来に語り継ぐというコンセプトであり、願っていることです。さて、現在、2021年の1月時点にいます。コロナ禍の最盛期なのか、まだ始まりだったのかは、後の世界では結論が出ているのでしょうが、マスク生活があたりまえという生活実感が芽生えてきた、そんな時代です。で、僕は会社にカラーのマスクをしていくことに抵抗があります。だって皆んな白マスクなんだもの。自分にとって大切なのは無難な服装でいることなのですが、一方で、そんな没個性が我慢ならないという人がいることは理解できます。ただ、共感が難しいところもある。オシャレしたい、ぐらいならわかるのだけれど。この物語には、女子の、というか、かわいらしい格好をしたいという少年が主要な登場人物となっています。決められた服装に堪えられないのです。昨今、頻出するトランスジェンダーの少年少女を描いた秀逸な物語の、自分の表向きの性別とは違う服を着たいという切実さは胸に迫るものです。ジェンダーには言及しないけれど、自分の本来の性別らしくない趣味を持つ子どもたちの物語も非常に増えていて、これも納得がいくのです。男の娘(おとこのこ)だって許容範囲です。ところが、この物語の女装男子はどこか違う。今回、久しぶりに理解が難しい登場人物に遭遇して、刺激的でした。つまりリベラルを自認していたはずの自分が「無理解な世間」の側に立ったのです。いや、マスクの件でもわかるように、僕は保守的で偏狭で臆病なのかもしれません。これは『夏空に、かんたーた』の女装オベラ歌手に覚えた違和感以来で、かなり内省しました。ただ、それもこれも2050年あたりにこの文章を読んでいただいている方には、服装にジェンダーがあった時代のアレやコレなので、実にどうでもいいことだろうと思うのです。マスクの色なんてさらにどうでもいい。といいつつ人は、時代の潮流とともに生きていて、そこに生まれる社会との摩擦が物語を生みます。主人公もまたごく普通の感覚をもった少年であって、友人の女装男子には理解の壁があるはずです。自分が理解できなくても、それでも友人の側に立つこと。そんなフレンドシップについても考えさせられた物語です。この物語、テーマが繋がり、大切なことに焦点が絞られ、次第に核心に迫っていく展開には興奮を覚えるものと思います。面白くて、先を読み進めたくなる誘因に溢れた物語です。

学校祭の後かたづけで、暗幕をしまうために、幽霊が出るという噂のある備品室に入った小学六年生の螢一は、そこで赤いリボンがついた箱を見つけます。プレゼントの包みなのか、と思いながら螢一が手にとると、不意に誰かの記憶が流れこんできて、見知らぬ光景が見えるという不思議な現象が起こります。驚き、逃げるように備品室を出た螢一は、それから度々、その記憶が展開していくフラッシュバックに悩まされるようになります。これは一体、誰の記憶なのか。備品室で、ボーイッシュな女の子と音楽を一緒に聴いている、その記憶の当事者もまた女の子で、彼女に強い恋慕を抱いている想いを螢一は共有します。この二人は誰なのか。友人の翔真とともに、その謎を解いていくうちに、この光景が既に過去のものであり、その大切な関係が今は失われてしまったことを螢一は知ることになります。螢一と翔真はこの記憶の本来の持ち主を見つけ出し、失われたものを取り戻そうと力を尽くしますが、一筋縄ではいかず、それがゆえに、運命的な出来事の連鎖が繋いでいく奇跡が生まれる展開は圧巻です。見事に回収されるのはこの不思議な事件の伏線だけではなく、螢一と翔真の関係性に兆した変化もオーバーラップしていきます。新鮮な感覚に彩られた、新しい児童文学がここに開花していくのです。

物語に凝らされた仕掛けの面白さもありますが、キャラクターたちの魅力や軽妙な会話が、この物語を、洒脱で秀逸な読ませる作品にしています。天然パーマでくしゃくしゃの髪の毛をした、ぼんやり少年で、勉強や運動ができるわけでもない主人公の螢一。彼の視座と内省とともに進む物語は、おっとりとしていながらも真摯に物事を考える性格ゆえに、やがて色々な気づきを得ていく、その展開に好感を持てます。お母さんを早くに亡くし、その死を理解し、受け入れるために、考え深く、どこかあきらめがちになってしまった螢一のメンタリティ。ちょっと個性的な周囲の人たちに振り回されながらも、考えを深め、終盤には自ら不思議な出来事にこめられた願いを成就させるためにアクションを起こしていく積極性は頼もしいところです。一方で、螢一の親友である翔真は、自分らしくあることを求めるあまり、女の子の格好をしていないでいられない女装男子。可愛いらしい外見とは裏腹に、ガキ大将のような性格で、自分をからかう相手には徹底抗戦する武闘派です。そんな翔真の頭を悩ませているのは、このまま公立中学に進んで学ランを着る自分に耐えられそうにないということ。その苦悩の深刻度に、螢一もまた充分に歩み寄れないという理解の壁があります。女装男子の物語は、当事者が主人公であるケースの方が多く、友人という客観から歩み寄ることはハードルが高くて、心情が理解されにくいのかも知れません。しかし、この物語は、そうした次元の先にある人と人の結びつきに踏み込んでいきます。螢一は条理を越えた不思議な出来事に遭遇して、その謎を追い、紐解きながら、一方で現実的な枠の中で起きている事態に、その気持ちを重ねていきます。人が本当に大切にすべきこととはなにか。生きているかぎりはあきらめてはならないのだと、そんな祈りと願いを強く感じさせられました。自分で諦めて、自分で終わらせてはならない。大切な繋がりなら取り戻せる。そんな強い意志を感じさせる物語です。色々な意味で、時間は戻らないと痛感しています。僕も小学生の時に母親を亡くしているので、それを呑み込むための心の受け身を習得してしまった感もあります。時間は戻らないが、未来はあるし、サーバーが生き続けているかぎりは、ここに書いた想いも永久に遺されるのだろうと、感慨深く思っています。色々と仕掛けがあって、そこに目を奪われてしまう物語なのですが、ぶれない芯があるのだと感じた作品です。余談ですが、僕は仕事で小鳥遊書房さんの名前を見るたび、これ何て読むんだっけと周囲の人に聞いてばかりいたのですが、この物語のおかげで覚えることができました。