最後の語り部

THE LAST CUENTISTA.

出 版 社: 東京創元社

著     者: ドナ・バーバ・ヒエグラ

翻 訳 者: 杉田七重

発 行 年: 2023年04月

最後の語り部  紹介と感想>

人工冬眠(コールドスリープ)から目覚めると世界が一変している、というのはSF作品の常套です。そこは、想定していた薔薇色の未来ではなく、絶望的な状況の世界になっているのがパターンです。どうも程よい想定内の未来で主人公が目覚めるお話は『夏への扉』ぐらいしか思い浮かびません。人類が滅亡している超未来に目覚めたり、一緒に冬眠した人たちが全員死んでいたり、そこから生き抜いていくのが過酷な状況の中で慌てふためきながら、覚めない頭でどうして自分が人工冬眠することになったのか思い出していくという展開が物語のお約束かと思います(この頃のSF作品だと『プロジェクト・ヘイル・メアリー』が、このパターンで面白かったです)。何光年も離れた彼方の恒星系の惑星に生きて到着するためには、数百年かかる宇宙船の航行時間を、人工冬眠で過ごすこともまた物語の前提になっています(ワープ航法が開発されていない世界線の場合です)。そこからの同工異曲に作家の才気が発揮されます。本書はニューベリー賞を受賞した秀逸な児童文学作品にして、こうしたSF作品の要素を取り込んだ異色作です。目覚めればデストピア。人間は変質して異様な外見になっているし、極端な平等思想(単独の集団人格)に支配されている。それが閉鎖空間である宇宙船の中で起きた「社会の進化」であるというあたりが興味深い設定です。眠っている間に多くのものを失った少女は、そこから自分自身を取り戻すために戦いはじめます。時は過ぎてしまい、失われたものは戻らないけれど、それでも新しい世界で生き抜いていくことを人が誓い、前を向いていく。最果ての場所で、人類の記憶を継いでいくことに主人公が目覚める。人間が語り継いでいくべきものとは何かを、究極の状況で問いかける物語です。

もうすぐ十三歳になる少女ペトラが、両親と幼い弟のハピエルとともに宇宙船に乗り込み、380年をかけて別の恒星系にある惑星セーガンに向かうことになったのは、人類が存亡の危機を迎えていたからです。時に2061年、彗星の地球への衝突が予測される中、選ばれた人たちが、人類を継続させるため他の惑星に移殖するプロジェクトが進行していました。この航行中、人々は脳にそれぞれ人類の叡智である膨大な知識を専門分野ごとにインストールされ、新天地で活用することが期待されていました。ペトラがインストールされたのは植物学。けれどペトラは、多くの物語や昔話もまた知りたいと思っていました。地球に残してきた祖母が、かつて自分に多くの物語や伝承を語ってくれたように、語り部として未来に物語を継ぐ人になりたかったのです。さて、新天地で活躍する使命を与えられ人工冬眠をする人々の他にも、宇宙船には、多くのスタッフが乗り込んでいました。彼らは人工冬眠に入った人たちのために、この宇宙船で一生を過ごし、次世代を育て、サポートしていく役割を担っていました。何故か、上手く眠りにつくことが出来ず、ひとり目覚めたままのペトラは、そうしたスタッフの一人、ベンと親しくなり、特別に各国の神話や物語のライブラリーを自分にインストールしてもらいます(ニール・ゲイマンの『北欧神話』もです)。しかし、それは宇宙船のスタッフの間で起きていた、ある不穏な動きに対するベンのささやかな抵抗でもあったのです。これまでの地球の記憶を全て消し去り、新しい世界を作る。急進的なスタッフたちの革命運動が、睡眠ポッドに入れられて眠りについている人々の運命を変えていくことになります。地球出発から380年後、無事、睡眠状態に入っていたペトラが目醒めた時、宇宙船は予定通りセーガンに到着しようとしていました。しかし、ペトラは、すっかり変容してしまった宇宙船内の状況を知ることになります。それはコレクティブと呼ばれる統一人格にすべての人が取り込まれた異様な世界だったのです。

息をつかせない展開は続きます。このいきなりの窮地に、ペトラが状況を把握し、どうふるまうべきか咄嗟に判断するあたり、彼女の賢明さが冴えるところです。人工冬眠していた人たちは、記憶を消去され、コレクティブに奉仕する別人格をプログラミングされます。これが上手くいかない個体は粛清という抹殺処分を受けます。目覚めた人たちは脳にインストールされた専門知識を活かして、コレクティブのために働くことを求められます。目覚めたペトラはゼータ1という名前(番号)与えられました。しかし、ペトラだけは、一緒に目覚めた他のゼータたちとは違い、かつての自分の記憶と自我を保っていました。しかしそれをコレクティブに気づかれたら、記憶を消去されてしまう。両親と弟はどうなったのか。従順にコレクティブの指示に従うフリをしながら、密かにその行方をペトラは探し当てようとします。たった一人、地球の頃の記憶を維持しているペトラの武器は、専門の植物学の知識だけではなく、物語を語れることです。コレクティブの世界からは抹消された物語が、記憶を消去された子どもたちや、コレクティブの子どもをも魅了します。物語にこめられた人類の叡智を一人、語り継ごうとするペトラ。コレクティブの支配から逃れ、セーガンで生き延びていく強い意志を彼女が抱くまで、奇想の物語は進み続けます。それにしても、この380年の間に、一体、何が起きていたのか。それは一つの国家が興亡するほどの長い時間です。スタッフの子孫であるコレクティブの人々が肌の色を無くし、血管の浮き出た透明な皮膚をしているのも、人類としての理想を追求した姿でした。そこには旧人類社会へに反省が込められています。コレクティブにとっての理想郷が、しかしながら、人類にとってあるべき姿なのか。人類の過ちと反省の歴史は、ただ消し去って良いものなのか。ペトラの記憶する「物語」にこめられた寓意は多角的に考えさせられ、この物語自体が語るものとも重なっていきます。ゼータ1と呼ばれるペトラが、やはり覚醒者であるイプシロン5という名の植物学を専門とする老人と共同研究をする中で、この名前の番号の意味に気づいていくあたりなど、SF的な仕掛けも楽しめる児童文学としては非常に異色の物語です。