出 版 社: 偕成社 著 者: 大井三重子 発 行 年: 2009年05月 |
< 水曜日のクルト 紹介と感想 >
かつての偕成社文庫の「水玉模様」の表紙を見るとゾクゾクとする、というのは、それなりの年齢の方に限られると思いますが、一瞬にして記憶の底に眠る「読み物」や「童話」の思い出が蘇ってきて、時間が巻き戻ったかのような気分にさせられることがありますね。本書、『水曜日のクルト』は大井三重子さんが昭和二十年代の終わりから三十年代に書かれた作品を集めたもので、昭和三十六年に単行本化され、昭和五十一年に偕成社文庫に収められました。その当時の版を読んだ方は、あの表紙とともにこの本の記憶があるものと思います。その後、新版として2009年に復刊されるまで『水曜日のクルト』は、ちょっと伝説的に語られる存在となっていて、読書サイトなどでも話題にのぼることが多い本だったと思います(復刊されると神秘性が少なくなってしまうのは、皮肉なものですが)。日本には、巧みな機織りのようなファンタジックな童話の紡ぎ手が沢山います。とくに戦前生まれの世代である、あまんきみこさん、立原えりかさん、いぬいとみこさん、安房直子さん、など、いまだにその高名を馳せている方たちには畏敬の念を感じています。同世代の大井美恵子さんは童話作家としては寡作な方ですが、『水曜日のクルト』は、神秘的な魅力にあふれていて、児童文学史というよりも、インパクトを残した一冊として読者に記憶されていた作品です。
それぞれ趣の違う物語が集められた短編集です。この中の『めもあある美術館』は教科書にも採用されていたので記憶のある方も多いかと思います。おねえさんと喧嘩をして、家を飛び出した少年が、むしゃくしゃしながら歩いていると、小さなうすぐらい古道具屋を見つけます。そこの店で売られていたのは、少年の死んでしまったおばあちゃんが背中をまるくしてすわっている絵。思い出に残るおばあちゃんの笑顔。そのなつかしい光景が描かれた絵を買っていく男がいました。その男をつけていた少年は、ふいに声をかけられます。「めもあある美術館にこないか。そこの角をまがってすぐだから」。めもあある美術館につれていかれた少年は、沢山ある部屋のひとつに案内されます。そこには数え切れない絵が額に入れられて飾られていました。死んでしまった飼い犬のペスの絵、小さな頃よくいじめて泣かしていた、となりにすんでいた子の絵、大好きだったおもちゃの機関車、ランドセルをしょった自分、はじめての受け持ちの先生・・・と自分の記憶にある思い出の光景が、その成長にしたがって絵にして展示されているのです。時には、目をつむって通り過ぎたくなる光景もありました。なんであんなことをしてしまったのだろうという後悔をしながら、向き合わないといけない絵も。一方で胸をはって誇りたいような思い出もあります。そして最後の絵には・・・という、これ以上は語ってはいけない不思議なお話です。
他にもこの本には、西洋風の寓話あり、戦争の悲しみを訴えた作品があり、どこかに、神秘的な、ちょっと恐ろしげな異世界の匂いと、切なくなるような痛みの感覚と、そして、深い人間洞察が込められています。子どもの頃、心にこの世界を焼きつけた方たちが、今も語りたくなる「記憶の中の童話」となったのは、人生に少なからぬ影響を与えられた作品だったからでしょう。今、大人の視点で読んでみても、物語の余白のうちに、色々な解釈の可能性を沢山、見つけだせる奥行きのある作品群です。大井三重子さんは、童話作家としては寡作な方ですが、ミステリー作家としての筆名、仁木悦子さんとしては数多くの著作を遺されています。ミステリーのジャンルに日常性とユーモアを取り入れた作風は、天童真さんなどと並んで、北村薫さんや、加納朋子さんなどを経て、米澤穂信さんなどに通じる「日常モノ」に影響を与え、日本ミステリーに新しい風を送り込んだ先駆者として評価されています(江戸川乱歩賞作家でもあります)。先にデビューしていた大井三重子さんとしての部分が見過ごされがちですが、児童文学のフィールドにおいても、その才能を発揮された結晶として、この『水曜日のクルト』はまとめられています。かつて手にとったことがある方も、これから読む方にも、印象深い世界を是非、味わって欲しいと思います。