わたしたち地球クラブ

THE FIRST RULE OF CLIMATE CLUB.

出 版 社: 小学館

著     者: キャリー・ファイヤーストーン

翻 訳 者: 服部理佳

発 行 年: 2023年12月

わたしたち地球クラブ  紹介と感想>

自分が小学生の頃、校庭で遊んでいたり、体育の授業を受けていると、光化学スモッグ警報が校内放送で流れて、屋内への避難指示が出されることがありました。工場の排気ガスや自動車の排煙が化合して大気汚染を引き起こして、一時的に危険な状態になったものです。交通量の多い国道や首都高速道路のすぐそばにある都市部の小学校だったので、大気汚染も著しかったのです。社会的にも公害病が取り沙汰され、今にして思うとデストピア感あふれる時代の思い出話ですが、そこから考えると随分と環境改善がはかられたものだと思います。で、もちろん、そんな酷い時代を基点に考えてはいけないわけです。高度成長期の環境破壊のツケは現代にも影を落としており、依然として、問題は継続しています。多少、まともになったという程度でしょう。光化学スモッグにただ翻弄されていた時代の子どもに比べれば、現代の子どもたちの環境問題に対する意識は高くなり、なんらかの活動を志す子もいます。本書は、そうした環境問題を考える特別クラスの子どもたちを主人公にした物語です。また、環境だけではなく、そこに深く関わりがあるものとして人種差別問題についても言及されています。人間に与えられる環境もまた公平で平等なものではないのです。この物語で子どもたちが仮想敵として敵対する大人は、頭の硬い年寄りの白人で、ナチュラルに差別意識があり、子どもたちの訴えに耳を貸そうとしない傲慢な男性です。こうした旧時代の大人と、開明的で意識の高い子どもたちはバトルを繰り広げることになります。現代(2024年)はSDGs隆盛の時代です。正義はどちらにあるかは一目瞭然なのですが、ちょっと立ち止まって考えるべき点もある示唆に富んだ物語かと思います。

メアリー・ケイト・マーフィーが通うフィッシャー中学では、今年、気候科学の試験的プログラムとして、通常のクラスとは異なる「地球クラス」が設けられました。気候変動の現状と原因について調べ、地域に根ざしたプロジェクトによって行動を起こす方法を探っていくという目的を持ったクラスです。新八年生で、気候変動の影響によって生態系が壊されていくことに危機感を持っているメアリーもこのクラスに応募して選抜されました。メアリーは、将来、エコロッジという自然環境に配慮した宿泊施設を経営したいと考えているような意識の高い十二歳の少女です。地球クラスの担任のエド・ルー先生は『われわれには地球を癒やすスーパーパワーがそなわっている』とクラスに唱えさせます。地球をどうしたいのか理想を語らせたり、自分たちが住む地域での問題を解決するプロジェクトを立ち上げるよう促すのです。メアリーは同じ地球クラスのショーン・ヒルという少年と一緒に、大量に食べ残される残菜を活用した「生ごみ堆肥プログラム」を進めようとします。その資金を得るため、学校のある町ハニー・ヒルの、りんご祭りの地域助成金獲得コンペに参加しようとしたところ、グリムリー町長から参加資格がないと追い出されてしまいます。それはショーン・ヒルがハニー・ヒルの住人ではなく、彼のような黒人が多く住む貧しく犯罪が多い地区ハートフォードから通ってきている子どもだったからです。町長はそれが規則なのだと言います。子どもたちは人種差別だとして抗議しますが、相手にされません。環境問題にも関心のないグリムリー町長に対抗する頼みは、町長選に出馬したメアリーの姉の友人であり、フィッシャー中学で英文科を教えるレイン先生です。汚染物質を排出する企業に働きかけ、環境問題を解決しようとする先生を子どもたちは応援します。町からの助成金がなくても、子どもたちは自分たちの力で、ベアーズビル地球クラブの収穫祭を催して環境問題を啓発していきます。地球クラスから地球クラブとしてネットワークを作り、より高い理想の下に活動の幅を広げていく姿が描かれていきます。 

社会問題を追及する子どもの物語は、その正義感が暴走しがちです。正しいことをやっている自負があるため、無茶をすることも誇らしくあるのです。この真っ直ぐさが、危うい魅力と言えないこともないのですが、児童文学としてのバランスが懸念されます。彼らは正しいのですが、当初から自分の正しさを過信しすぎていて、あらためて、気づきを得ることは少ないのです。 実際、正義の源には愛がなくてはと思います。地球に対する大いなる愛は、隣人への小さな愛の延長線上にあります。この物語の中で、その友愛がナチュラルにベースとなっています(なので、その気づきは読者が感じるとるべきものです)。メアリーが環境を考えることには、友人たちを苦しみから救いたいという思いが根幹にあるのです。メアリーの親友のルーシーは少し前から原因不明の病気になり学校にくることができません。その病気の原因も地球温暖化に起因したものであることが後にわかります。黒人少年のショーンは、貧しい地域の人たちに環境問題のしわ寄せがあることを訴えます。興味深いのは、子どもたちの怒りが現町長に向けられるところです。闘うべきは、環境破壊を省みない世の中の不合理です。無自覚な差別意識など、旧弊した価値観です。仮想敵である現町長はそうしたものの象徴であり、彼に選挙で勝つことが、もっと大きな闘いでの勝利を想起させるものとなります。一方で、現町長はやることなすこと子どもたちの批判の対象となりますが、やや鈍感なだけでそれほど悪意があるわけではない気もします。頭が古いからなのです。同じテーブルにつくことができたとしても、話は平行線をたどるでしょう。ここには意識の、あえて高低という言葉を使わないとすると、周波数の違いがあります。周波数が違う人たちとどう波長を合わせるか。ここで波風を立てない共存を計ることが現実的な解決策であり、難題でもあるのです。それぞれの正しさが拮抗する世界で落としどころを見つける、なんて悠長なことを言っていられないのが、環境破壊と人種差別です。隣人を守る愛のためになら徹底的に闘って良し、という潔さに憧れるのは、自分が人同士の関係性を気づかうくたびれた大人だからです。光化学スモッグよりも厄介なものが世の中にはあります。よどんだ空気を換気する気力が欲しいと思いますね。