リターンマッチ

真二の場合

出 版 社: 文渓堂 

著     者: 八束澄子

発 行 年: 1998年12月

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「すぐにけつを割るような半端もん」と十七歳の真二が呼ばれてしまうのは、その経歴のためです。高校は一年で退学しているし、働きはじめた職場も一年で辞めているとなれば、履歴書を見せただけで、色眼鏡で見られてしまう。これでは、なかなか仕事に就くことができません。苦労して仕事に必要な小型船舶免許まで取得した前の職場をあっさり辞めてしまったのは、みっともない理由からでした。事故を起こしたのを黙っていたのは、責任を逃れたいからだったし、それがバレて責められたのは、事故を起こしたことではなく、謝罪さえできない真二の心根です。叱られても謝ることもできない真二は、仕事を辞め、その場から逃げ出しますが、そんなことで心が安らぐはずもありません。なんとかガソリンスタンドのアルバイトの職を得たものの、ちょっとイヤなことがあると、またすぐに辞めようと思ってしまう真二。「半端もん」である自分のいたらなさもまた、よく分かっていました。自分に失望しながら、無為にその日を暮らしている毎日。しかし、ここに転機がやってきます。いくつかの偶然が重なり、真二はボクシングと出会います。ガソリンスタンドで忙しく働きながら、ジムの練習生となって、プロデビューを目指すことになった真二。ロープに囲まれたリングの上では、逃げることができない。頼れるのは自分の身体ひとつのみ。覚悟を決めた真二の、人生の敗者復活戦が始まろうとしていました。

「けつを割る」という言葉は、逃げ出すことの慣用句としてのニュアンスが強いですが、「欠(力不足など)を割る(明らかにする)」ことが語源という説もあるようです。つまり、自分にはできないと宣言することです。結果的に、難しい仕事から下りてしまうことは一緒ですが、逃げるのと、駄目なりに事情を人に説明できることでは、心の姿勢として距離がありますね。真二の場合、単に面倒なことがイヤで、しかもそれなりにプライドがあって、頭を下げることもできないので、自分に欠けたところがあるとは口にできません。ただ、自分の駄目なところは十分、わかっているのです。そこにはちょっと可能性があって、上手くギアが噛み合いさえすれば、前に進める予感がします。まあ、すぐ調子に乗るし、同年代の恵まれた子には嫉妬もするし、女の子の前ではいいカッコをしたい、等身大の十七歳の少年そのものです。一足先に社会に出ることになったために、社会人の自覚と責任を求められてしまった少年には同情もあります。ただ、真二はガソリンスタンドで一緒に働く人たちや、ボクシングジムの人たちに支えられ、時にたしなめられ、力づけられていきます。周囲にちゃんと叱ってくれる人がいることはラッキーですね。労働する十七歳を描く、非常にレアな児童文学作品であり、彼が社会の中で自分に欠けているピースを、少しずつ手に入れて行くプロセスが見どころです。自分にはなにが欠けているのか、真正面から見つめることも、それを認めて、口に出すことも、大人になると余計に難しいこともあるわけで、打たれ強い心身を鍛え始めた十七歳が羨ましくもある読後感です。

「しんぼう」と「がまん」は大切です。時代は変わっても、この価値観はわりと揺るがないのですが、むやみに人に「無理を強いる」ことになる場合もあり、現在(2018年)の視点では、無理から逃げることは、より良く生きる選択肢のひとつだと推奨されています。つまり、逃げても良いのです。ブラックな環境で堪える必要はない。「堪え性がない」なんて言葉に負けてはいけないのです。「根性」をどう発揮するか、難しい時代になってきたと思います。とはいえ、逃げて、楽な方に行くことで、逆に自分が苦しくなる場合もあります。真二は、ジムの先輩ボクサーであるドラゴン山口の姿勢から多くを学んでいきます。試合に負けた山口が再挑戦しようとする不屈の姿勢にも、心を打たれます。そして、自分もまた、人生の敗者復活戦に挑もうという気概を持ちます。これもまた、より良い人生の選択だと思います。生き方は自由に選んでいい。端的にまとめると、人生をより良くする「がまん」もあるので、「がまんのしどころ」を間違えないというのがポイントでしょうか。真二の周囲の大人たちがとてもユニークに活き活きと描かれています。みんなどこか不器用で、完璧な人はいないし、けっこう破天荒なことを言い出す人もいます。そうした関わりの中で、手さぐりで自分なりの生き方について答えを見つけ出そうとしているのが真二の良いところです。頭ごなしに「がまんしろ」と言われても従うべきではなく、人の背中を見ながら、自分はどう生きるべきか、自ら決めていく。そんな姿勢は現代にも通じるところがあるかと思います。それにしても、物語の中で昭和五十二年生まれの真二は十七歳ですが、現在は四十代になっているはずです。真二は今、人にどんな背中を見せているのでしょうか。ちなみにこの物語は『青春航路ふぇにっくす丸』のスピンオフ続編なのですが、こちらから読んでも面白い作品ですし、遡ってもまた良しです。