出 版 社: ポプラ社 著 者: ギャレット・フレイマン=ウェア 翻 訳 者: ないとうふみこ 発 行 年: 2007年07月 |
< 涙のタトゥー 紹介と感想 >
この物語の主人公、十五歳の少女、ソフィーが出会った少年は、目の下に涙の形をしたタトゥーを彫っています。ピエロでもないのに、どうしてそんなことをしたのか。彼がタトゥーを自分に刻んだのは、母親を失った悲しみと自分なりに和解するためでした。そのタトゥーに触れることは、彼が抱えている悲しみと向かい合うことになるのです。ソフィーもまた、数年前に白血病で逝ってしまった弟のことを心に抱えて生きていました。「双子」のように育った弟。いまだに、その死を受け入れ、消化することができないでいる。そのため、もっと愉しく生きてもいいはずの十五歳の時間に、自分から、世間的な楽しみと線を引いてしまったのです。ソフィーは忘れることで、失われていってしまう弟の記憶をつなぎとめるため、毎日、「思い出すこと」を日課にしています。しかし、それでは「死」から離れることはできない。そんなソフィーが少年と出会うことで、新しい世界に触れていきます。『マイハートビート』で、十四歳の少女の微妙なメンタリティを表出させた作者のデビュー作にあたる作品。とても温度の低い言葉で描かれる世界は、クールでありながら、それでいてドキドキとするようなビートを刻むのは、本作にも通底するところでした。いや、すっきりとはしないんだけれど、こうしたビートにシンクロできる人にはお薦めの作品だと思います。
同級生の子たちがデートにふけっている様子を、冷ややかに見ているソフィーは、恋愛に対して距離を置いていました。父親の女性関係が原因で、弟の闘病中に父母が離婚してしまったこと。真面目な優等生である自分とは、まったく違うタイプの華やかで美人な姉に対する複雑な感情。恋愛に奔放な家族の態度をよそに、素直にはなれない自分。恋愛に対してソフィーが二の足を踏んでしまうのは、未解決な心の問題が、はっきりしないまま横たわっているからです。恋に浮かれて、自分を失いたくない。小児科の医者になることを将来の目的に定めて、努力しているソフィー。自分が自分でなくなってしまうような「おつきあい」を男の子としたくない。ソフィーは、色々な心のモヤモヤを抱えながら、学校生活を送っています。そんな時、母が新しい恋人として家に連れてきた男性の息子のフランシスと、ソフィーは出会います。涙のタトゥーを目の下に入れている少年、フランシスは、大切な家族を亡くす、という同じ痛みを経験しながらも、ソフィーとは少し違った世界を見ていました。フランシスと、おそるおそる心を寄せていくソフィー。学校生活の中で友人たちの心と触れ合ったり、すれ違ったり、自分を見つめたり、思わず目をそらしてしまったり、等身大の思春期のハートが、繊細に描かれていきます。
恋は「落ちるもの」だそうです。「落ちる」というのは、やはり一瞬の出来事なのでしょう。一方、「つきあっている」というのは状態であって、日常になってしまった恋愛は、落ち続ける一瞬の連続ともいいがたい。「つきあう」というのは、微妙なバランスをとらなくては維持できない。うまく「つきあって」いきたいけれど、そんな状態を、どんなふうに続けていったらいいのか。ソフィーのギクシャクしてしまう気持ちは、閉ざされた世界にいた女の子が、そろりそろりと足を踏み出していく、そんなおぼつかない感覚にあふれています。万事、淡々としているんですね。一体、ソフィーはどこで恋に「落ちた」のか、などと考えてしまうのですが、ドラマチックなものもないまま、友人から恋人へのシームレスな移行にも意外とリアリティはあるようです。それにしても、こうした女の子の恋愛についての心境小説は、自分にはキビしいところもあって、イリーナ・コルシュノフの『ゼバスチャンからの電話』が苦手なのも(児童文学好きの人たちの間では好評を博している作品でありながら)、同じ理由によるのかな。ところで、この本ですが、表紙になかなかインパクトがあります。このフランシスの絵が物憂げで良いんですね。ただ、ちょっと、作中のフランシスのイメージとは距離があるかな。個人的には、もうちょっと、知的でユーモラスな少年という印象がありました。