目で見ることばで話をさせて

SHOW ME A SIGN.

出 版 社: 岩波書店

著     者: アン・クレア・レゾット

翻 訳 者: 横山和江

発 行 年: 2022年04月

目で見ることばで話をさせて 紹介と感想>

『目で見ることばで話をさせて』というタイトルにまず惹かれました。「目で読む」でもなく、「耳で聞く」でもない「目で見る」言葉とは、果たして「手話」のことです。次に本の冒頭から物語の背景が説明されていきます。これはフィクションですが、実際に存在した島と人々がモデルになっているそうです。舞台となるのは、19世紀初頭のアメリカのボストン南東部に位置するマーサズ・ヴィンヤード島。ここには耳の聞こえない、多くの、ろう者が住んでおり、聞こえる人もまた手話を使いこなし、わけへだてなく暮らしていました。これも史実です。二十五人に一人、地域によっては四人に一人がろう者であるという島。ここでは手話が第二言語のように機能していて、ろう者がコミュニケーションに不自由しておらず、何より疎外感や劣等感を与えられていないのです。普通に仕事を持ち、家族と一緒に暮らしている。そんなあたりまえが、他所の人間からは不思議に思えるのです。なぜ、この地域だけ、ろう者が多く生まれるのか。この島には人を、ろう者にする特別な要因があるのではないか。また、他の地域に住む、当時の、ろう者のように、社会的に見下されたり、知的に劣っていると思われ施設に入れられたり、物乞いに身を落としてもいないのです。この差別のない環境で、ろう者として生まれ育ったメアリーは十一歳。そんな彼女が外の世界に無理やり連れ出され、「目で見る言葉」を封じられて、話ができなくなります。自分の意志を伝えられない世界から、彼女が命がけで島に帰還するまでのサスペンス溢れる展開の面白さはもちろん、この特別な島のコミュニティのあり方や、障がい者や健常者といったフレーム自体を考えさせられる感慨深い作品です。

兄と道でふざけていたところを、馬車が通りがかり、自分をかばったばかりに、メアリーの兄は馬車に巻き込まれて亡くなります。自責の念に苛まれながらも、その詳しい事情を胸に秘めたまま、メアリーは両親に打ち明けることができずにいました。そのことが事故から半年を経過しても、メアリーと両親との関係をぎこちなくさせています。メアリーの父親はメアリーと同じく耳が聞こえませんが、母親は耳が聞こえます。耳が聞こえないこと自体は、この島ではそれほど気にかけることではありません。メアリーの友人のナンシーは耳が聞こえますが、彼女の両親は耳が聞こえず、手話で会話することも普通のことです。メアリーの母親はいらだつことが多くなり、島の一部人たちに対して、偏見を隠そうとしないことをメアリーは感じとっています。そこに自分よりも亡くなった兄のことを母親が大切に思っていることもメアリーは重ねています。父親に対するような親近感を、母親には抱けなくなっていることにメアリー自身が戸惑い、またその遠因に兄が事故で死んだことがあり、その責任を自分が担っていることが深く突き刺さっています。そんな折、島に、アンドリュー・ノーブルという科学者がやってきます。この島の牧師の知人であるという彼は、この島に、どうして、ろう者が多いのかをつきとめるつもりだと言うのです。アンドリューの、ろう者を見下したような尊大な態度に、島の人たちは不穏なものを感じます。メアリーもまた、外の世界での、ろう者の過酷な境遇に驚かされます。この島のなんらかの事情が、人々をろう者にさせているとの仮説を実証しようとしているアンドリューは、この島から生きた「標本」を持ち帰ろうと画策していました。とはいえ、まさか彼がメアリーを拉致して船に乗せ、ボストンに連れ去ろうとは。言葉を封じられたメアリーが、外の世界でどうやって窮地を脱するのか。中盤からの怒涛の展開には息を呑みます。

誰も知る人のいないボストンで、助けを求めようにも誰にも意思疎通を図ることができないメアリー。ここでは、ろう者は知的に劣っているとさえ考えられ、メアリーに意思があることも、まともに取りあってもらえないのです。この窮状で、感受性豊かなメアリーが、ろう者に与えられている世界を知ったことが、彼女の心に多くを兆していきます。もちろん物語は、逆転のチャンスを彼女にもたらしますが、この脱出劇も一筋縄ではいかず、最後までハラハラさせられる展開が続きます。ということで、エンタメ的な面白さと、人間の差別意識や障がい者へのまなざし、また気持ちのすれ違う母娘関係の難しさなど、多様な要素が渾然一体となった深みのある物語となっています。実在した、ろう者が多く住む島に芽生えた、ろう者と健聴者を分け隔てしない文化をベースに語られる物語は、現在(2022年)のバリアフリーに照らしても、考えるべき点は多いと思います。当時の島の中でも、移住してきた人々と先住民との土地をめぐる考え方の違いからの対立や、奴隷であった黒人への偏見もあります。耳が不自由であることが障壁にならない土地にもまた、人間同士が理解し合えない壁もあるのです。鷹揚な考え方の父親と、厳しく人を見定めている母親には温度差があり、メアリーは母親に複雑な感情を抱いているし、そこにはメアリーの兄の事故死がそれぞれの心にもたらした哀しみによって屈折させられたものがあります。良くも悪くもメアリーは広い世界を知ったことで、両親への理解を深め、また未来に向けて、自分のできることを模索していきます。ここが鮮やかなところですね。少女の心の豊かな感性と大きな拡がりを描く優れた児童文学作品であり、この実在した多くのろう者が暮らした島の科学的な解析や、そこで形成された複雑な文化など、興味を惹かれる事実も満載の一冊です。是非、がっちりと向かい合っていただきたい、読み応えのある作品です。