トーキングドラム

心ゆさぶるわたしたちのリズム

出 版 社: PHP研究所

著     者: 佐藤まどか

発 行 年: 2022年07月

トーキングドラム  紹介と感想>

音楽の楽しさを語る上で、グルーブが生まれる瞬間の歓びは欠かせないかと思います。音楽に思わずノッてしまうのは、やはりリズムが噛み合って、スウィングする状態が作られていることが大切です。そして合奏はチームワークであり、技巧的なことだけではなく、チームとしての和が導きだすものもあります。ノリとは、そんな雰囲気がもたらすものではないかと。本書は、子どもたちが色々なパーカッションの楽器を自分たちで作り、打楽器だけでストリートパフォーマンスをするという物語です。バラバラだった状態から、息が合っていくのは、楽器演奏の技術だけではなく、チーム自体の結びつきの効果もあります。宝塚歌劇団の小劇場公演で、パーカッションや太鼓、ティンバレンなどの打楽器アンサンブルが行われる場面がたまにあります(水美舞人さん主演のバウ公演『セニョールクルゼーロ』の場面が印象に残っています。その時のカンパニーの親密さもイメージされますね)。ラテン系の打楽器が打ち鳴らされる賑やかさは、お祭りめいた楽しさがあり、その躍動感にも惹き寄せられました。そんな舞台の記憶も、本書で子どもたちが打楽器のみのアンサンブルで盛り上がっていく姿に重なるところがありました。短い物語で、個性的なキャラクターたちが存分に活躍しきれず、もったいない感はありますが、居場所がなかった子どもたちが、夢中になるものを見つけていく胸の高鳴りは、やはり心地良く響いてくるものです。

小学校の放課後子ども教室には希望者は誰でも通うことができます。もちろん高学年になってもここに来て構わないのですが、塾や習い事に通う子も多くなり、自ずとその数は少なくなっていきます。遊び相手の友だちもいないし、家にも居ずらい、となれば放課後の居場所としては最適な場所ではあるものの、低学年、中学年に混じっては、長老扱いされるのも仕方ないところ。何分にも圧倒的に少数派なのです。六年生が二人に、五年生が二人の、高学年なのに放課後子ども教室にきている四人は、それなりに訳があるようです。かみつきマッキーこと六年生の林万希奈(まきな)は、仲の悪い兄と弟に挟まれて、その兄弟喧嘩や言い争ってばかりの両親を見ているに耐えず、ここに避難しています。転校生で学校に馴染めない五年生の愛や、同じく五年生で、大人しく自分の世界に没頭している健太。六年生の男子のタヌこと田沼伸二は単純な性格ですが、怖がりで家で一人でいるのが苦手なのだと言います。高学年は集団遊びなどのアクティビティに参加しなくても良いし、とくに何をやらなくてもいい。まとまりがあるわけでもない四人は、集まって遊ぶわけでもない。それでも宿題をやったり本を読んでいるだけでは退屈なのです。では、何をしたら良いのか。そんな時、健太が一人で黙々と製作していたものに、皆んなの目が止まります。それは太鼓でした。健太のスケッチにはさらに色々な種類の打楽器が描かれています。本物の見た目で本物の音の出る楽器を作ることに魅せられた高学年四人組は、本格的な打楽器製作にのめりこんでいきます。材料を集め、組み立てていくのは、サンバという三枚重ねのカスタネットや、ギコギコという音の出るギロ、何よりも太鼓です。さて、楽器ができたなら、自ずと演奏してみたくなるものでしょう。放課後子ども教室の低学年の子どもたちをびっくりさせられればいいと思っていただけだったのが、次第に気持ちは広がっていきます。やがて太鼓の音が言葉の役割を果たしていたというアフリカのトーキングドラムのスピリットを知った四人は、作った楽器でコミュニケーションしていくことを志向し始めます。もともと打楽器が好きだった万希奈が音頭をとり、ストリートパフォーマンスにまで発展していく姿は、多くの音楽の歓びを描く児童文学と同じく清新な感覚に溢れています。

なんでも作ってみたくなる、という工作魂に火がつきやすくて、自分も小学生の頃は色々なものに手を出した記憶があります。まあ、まともなものが出来た試しはなかったのですが、この物語で、四人組が楽器作りに盛り上がっていくあたり、とても心惹かれるところでした。今は100円ショップで、安価に材料が手に入ることを思うと、より可能性を感じてしまうのですが、お金と時間はあっても、やる気とロマンがないと何もしないですね。あの小学生の頃のむやみに物作りをしたい欲求は、誰かに見てもらいたいというコミュニケーション欲求であったのかも知れません。ありあわせの材料で楽器を作る創意工夫も、それでコミュニケーションの輪を広げていく志向性も、希望があっていいなあと思えます。心に火がついて、どんどんエスカレートしていく。そんな遊び心で音楽を楽しめるのは良いですね。この物語を、音楽の才能があるが故に苦悩する少年を描いた『アドリブ』と同じ佐藤まどかさんが書かれたことも興味深いところです。さて、海外の児童文学作品を読んでいると、所謂、カギっ子や子どもだけの留守番状態は、虐待やネグレクトにあたるという認識を目の当たりにします。シッターさんが呼ばれたり、近所に人の家に行ったりと、子どもだけで過ごすことが避けられています。かといって学童保育的なものもあまり出てこないのですね。そういえば、本書のような放課後に学校に残らざるをえない少年が、読書クラブを作る『ぼくたち負け組クラブ』という秀逸な作品がありました。音楽に負けず、読書もまた、仲間と一緒に盛り上がれるのです。