出 版 社: 福武書店 著 者: 荻原規子 発 行 年: 1988年08月 |
< 空色勾玉 紹介と感想>
前回読んだ時はインターネットがまだ一般化していなかった時代でした。今は、わからないことをネットで調べながら並行して本を読むようになっているので、自ずと印象が違ってくるところがあります。いや、より深く読み込めるになったか。この物語は日本神話をベースにしており、黄泉の国から逃げ戻ったイザナギが三貴子に世界の統治を委ねた以降あたりの葦原中国(人間界)がモチーフになっています。とはいえ、どうも基礎知識が足りなくて、原典である神話とこの物語の世界設定を比べながら読みましたが、存外それが面白く、加算された部分にある深みに驚かされました。日本神話については、自分の世代は学校教育でオミットされてきたこともあり、ついぞ皇国イデオロギーと結びつけて考えがちなところもあって、ギリシア神話のようには物語として楽しんでこなかったものです。日本神話への拒否反応が今よりも強い時代に本書は登場して、それを超えたところで評価され、後世の作品に多くの影響を与え、傑作として現在も読み継がれています。ともかくも、この世界観の面白さ。神が、それほど超常的な力を持つわけでもない半神として人間界におわして存在感を示していることや、光と闇の二派に分かれて対立する神々の代理戦争を人間が行なっていることなど、非常に興味深い設定です。そして神々に見る「人間的な業」がまた魅力的です。そして、モチーフにしているとはいえ、天照大神もスサノオも岩戸伝説で伝わるような、本来のキャラクターとは全く違うイメージで登場することや、その姿が人間の娘である狭也の視座から語られることも魅力的です。ジャパニーズファンタジーを語る上で大きなエポックを作った作品であり、国内児童文学やファンタジーのオールタイムベストでもある快作です。
高光輝(たかひかるかぐ)の大御神を崇拝する羽柴の郷の村に育った狭也(さや)は十五歳。幼い頃、親と別れ、みなしごになったものの、現在の両親にひきとられ、不自由なくのどかに暮らしていました。時折、見る鬼の夢に怯えるのは、記憶にはない過去の恐怖が蘇ったものなのか。そんな狭也が自分の本当の運命に出会うのは祭りの日のこと。祭りのために呼ばれたという奇妙な楽人たちから狭也は、自分が闇御津波(くらみつは)の大御神に仕える高貴な狭由良姫の生まかわりであり、水の巫女の継承者であると告げられます。高光輝と闇御津波の二人の大御神はかつては夫婦であったものの、袂を分かち憎しみ合い、それぞれ天上と黄泉の世界にいながら、この人間が住む豊芦原の中つ国で覇を競っていました。高光輝を崇拝する村に育った狭也は、「土ぐも」と呼ばれる闇御津波を崇拝する土着の氏族が、今も、高光輝の御子である、照日王(てるひのおおきみ)と月代王(つきしろのおおきみ)が率いる討伐軍と戦っていることを知っていました。自分が、敵対する闇の氏族の姫の後継者であり、この戦いの均衡を破る最終兵器、大蛇(おろち)の剣の守り手である水の巫女であることに驚かされます。しかし、その祭りの夜、狭也は討伐の遠征からもどった月代王に見出され、采女(うねめ)として輝の宮に参内することになったのです。狭也の出自を知りながらも好意を寄せる月代王の思惑はどこにあるのか。輝の宮では月代王の姉である照日王もまた、狭也の正体を知っており、冷淡で高圧な態度をとります。自分が何者として生きれば良いのかわからないまま、月代王に恋焦がれながらも、その気持ちを掴みかね、戸惑う狭也。やがて、輝の宮に隠された大蛇の剣を奪回しようとして囚われた闇の氏族の鳥彦を助けようとしたことから、狭也は、この宮に幽閉されていた第三の御子である稚羽矢と出会い、さらに大きな運命の転変を迎えることになるのです。
照日王のキャラクターが特に際立っています。天照大神をモデルにした太陽の気質を持つ女性神ですが、この物語では、ナウシカのクシャナ姫やグインサーガの公女将軍アムネリスのような、自ら兵を率いて闘う武闘派の将軍として描かれています。猛々しさと、智略をあわせ持つ烈火のような存在感。弟の、深謀遠慮がありどこか憂いを秘めた月代王との対比が面白いところ。この姉弟が衝突しながらも強く惹かれ合っている姿に、月代王に好意を寄せる狭也が次第に失意を覚えていくあたりの心境描写も秀逸です。太陽と月。対極にあるものが、衝突しながらも惹かれ合う構図は、この物語全体をも貫いています。高光輝の大御神を信奉する人々は死を禁忌として、不死を希求します。照日王たち御子も不死の存在であり、変若(おち)という力によって、瀕死の怪我を負っても回復し復活します。一方、闇御津波の大御神を信奉す人々は、死を受け入れ、生まれ変わることを人の性と考えます。よって、死ぬことのない変若こそが禁忌なのです。光と闇。両者の闘いは激化し、多くの命が失われていきます。大蛇の剣もまた破壊をもたらしました。しかしながら、両者は相手を否定しながらも強く惹かれ合う運命にあり、それは、高光輝と闇御津波の両神の愛憎に端を発しています。物語は、その根源に向かって進んでいきます。闇御津波の大御神から黄泉の世界と繋がる空色勾玉を託されていた狭也と、高光輝の大御神の御子であり、姉兄からは、出来損ないとして軽視されていた稚羽矢にもまた隠された使命がありました。光と闇の対立とその愛憎の果てにある、新しい世界。不死の神が半神として人の世界を統べる時代から、死すべき運命を持つ人間の時代へ。神代の終わりを告げる時代を、ファンタジーの中に創造した壮大な物語です。