出 版 社: ポプラ社 著 者: エヴァ・ジョゼフコヴィッチ 翻 訳 者: 大作道子 発 行 年: 2020年10月 |
< 色どろぼうをさがして 紹介と感想>
訳書あとがきに『読み終えたみなさんは、謎がとけてすっきりしたでしょうか?』という問いかけがあります。これには「すっきりしません」と答えたいところです。謎はとけますが腑に落ちないところが残されていて、そこを自分で埋めていかないとならないのです。良い意味で、読者に委ねられているところがある作品です。ヒントはたくさん提示されているのですが、それをどうモンタージュすれば自分なりに合点のいく結論になるのか。この感想文はその仮説です。つまり、わくわくする読後感なのです。主人公の12歳の少女、イジーことイザベルは、夜ごとの悪夢に苦しめられています。夢の中に出てくる恐ろしい男は「色どろぼう」で、イジーの世界から「色をぬすんで」いきます。この「色」には象徴性があります。イジーの世界はモノクロにされようとしています。実際に、物質的に色がなくなることはなく、それはイジーの精神状態が見せているこの世界の変容にすぎません。邦題のとおり、これはイジーが彼女の世界から色を奪った「色どろぼう」をさがす物語です。夢の中の男の正体はやがてあきらかになりますが、「色どろぼう」は誰だったのか、という謎の答えは出ていないと思っています。ここがポイントです。恐れている「何か」から目をそらさず、正面から立ち向かうこと。とてもハードで、タフな精神が必要とされます。物語冒頭のイジーはとても、そんな気持ちにはなれなかったと思います。物語の中で、少しずつ事実関係が明らかになり、イジーの心はひも解かれていきます。真実を知ることは、勇気がいることです。はっきりとしない不安や恐怖は無意識のうちに人を苛み(場合によっては心身症になるところですが)、悪夢の形で現れることもあります。イジーはどうやって悪夢を克服したのか。ぬすまれた色は戻ってきたのか。すべて元通りになりました、という結末ではないところにサムシングがあって、実に語りどころのある物語だと思うのです。
イジーのママが入院してからすでに五週間以上が経過していました。交通事故に遭ったママは、治療のために脳の腫れがひくまで人工的な昏睡状態で眠らされているのです。車同士の衝突事故は、助手席に乗っていたイジーも気を失うほどの衝撃でしたが、運転していたママはその比ではなく、大ケガを負い運ばれた病院で懸命の治療が続けられました。命はとりとめたものの、この後、無事に回復できるかどうかわかない状態が続いています。イジーはママを心配しながらも、なかなか病院に行くことができずにいました。イジーは、この事故に対して、漠然と自責の念を抱いています。ただ、どうしてそうなったのか、事実をつきつめて考えることもできないでいました。それは自分のやってしまったことを、白日の下にさらすことになるから。とはいえ、ママの回復を祈るしかない、この不安な状態で止揚していることがイジーのメンタルを苛んでいます。ママは、寝室の壁にイジーが生まれてからの成長記録を、ずっとカラフルな絵で描いていました。その壁画の色が、悪夢に登場する「色どろぼう」に次第に奪われていきます。それはイジーの心象の世界だけのできごとなのか。イジーには、他にも心を悩ましていることがありました。幼なじみで親友のルー(ルイーズ)が、この頃、自分につれない態度をとるのです。露骨に自分を非難したり、冷たく接したりする。他の友だちと親しくするようになって、イジーを避けるのです。ついには大きな喧嘩をすることにもなり、イジーはルーとの関係を失うことになります。学校でも事故のことは知られていて、同級生や先生との間にも不自然な空気が流れており、イジーはその気持ちをかなり追い詰められていきます。一方で、ユニークな同級生のフランクの励ましもあって、イジーは学校のシェイクスピア劇(『マクベス』のマクベス夫人)のオーディションにチャレンジしたり、近所に越してきた車いすの少年、トビーと親しくなり、一緒にトンガリと名づけた白鳥ヒナを守り育てます。ヒナの成長や、トビーとの心の交流から、イジーは自分の心に正面から向き合う勇気をもらい、これまで目を背けてきた事実を明らかにしていこうとします。それは、ママの事故の真相を再確認することであり、何があったのか、そして、自分が何をしたのかを、はっきりとさせることでした。やがてイジーは変わっていく世界を受け入れていきます。元通りにはならない世界を生きていくイジーが、これからに希望をつないでいく物語です。
核心に触れるには、勇気が必要です。できれば触れたくないものです。真相をつきつめて行った時、出てくる答えに、人は耐えられないこともあります。とはいえ、憶測に怯えて、疑心暗鬼や針小棒大に恐怖心を募らせることは望ましいものではありません。車いすの少年、トビーは、スケートボードの事故で脊髄を損傷し、両足が動かなくなりました。これは事実です。ただ、この事実を誰かに打ち明けることは、事実だからと言ってやすやすとできることではないのです。トビーは自分に打ち勝とうとしてきました。電動車いすには乗らず、自分の力で、すべてを乗り越えていく。そうして一年以上を過ごしてきた時間が、イジーに自分の事故について話をする勇気を培ったのではないのかと思います。もう元には戻れないトビー。それでも、自分の傷を目をそらさずに見つめるトビーに、イジーも気持ちを動かされます。ママが眠っている間に、イジーはこれまでの色を失い、新しい色を見つけていきます。この物語の番狂わせは、イジーとルーとの関係性が回復しないことです。ルーとの心のすれ違いが、最後は元に戻るという予定調和をどこか期待していたところもあり、驚かされました。しかしながら、この物語をルーのサイドから考えると、これもまた葛藤の物語となるはずで、かならずしもルーを責められないのではないかと思うのです。イジーとママの事故は、イジーが急いでルーを迎えにいこうとしたことが遠因です。そして、この事故以来、すっかり変わってしまったイジーに対して、ルーが業を煮やしていくのも、どこか自分が責められている印象を持っているからではないのかと思うのです。二人の関係はこじれていきます。とはいえ、ルーもまた新しい友だちを得て、その新しい関係に励まされていったのではないかという憶測もあります。元には戻れないけれど、変化を受け入れることで、先に進んでいけるものだと考えれば、なんとなく納得がいきます。不安感に苛まれている時には、その不安を全部、ノートなどに書き出すと良いと言われます。しかし、人間の心には幾重にも障壁があって、これを越えることは、実に難しいことです。この物語は、少しずつ助走をつけて、間合いをはかって、この壁を飛び越えようとしながら、なかなか踏み込めないままのイジーの、もどかしさと戸惑う気持ちこそが身上です。だからこそ、トビーの励ましがイジーの背中を押し、支えていく姿に歓びを覚えるではないのかと思うのです。