ナゲキバト

The Mourning Dove.

出 版 社: あすなろ書房

著     者: ラリー・バークダル

翻 訳 者: 片岡しのぶ

発 行 年: 1997年10月

ナゲキバト  紹介と感想>

回想で語られる1959年の少年時代。九歳のハニバルは突然の交通事故で、両親を失います。その悲しみに暮れる彼を、すぐに引きとって家に連れ帰ってくれたのは、アイダホ州に住む祖父であるポーターでした。ポップと親族皆んなから親しみをこめて呼ばれている祖父は気のいい人物で、ハニバルともとても気が合います。三年前に祖母を亡くした祖父もまた寂しい気持ちを抱えていたのかも知れません。祖父は温厚で話も巧く、ハニバルに色々な楽しい話をしてくれました。この祖父との新しい暮らしが、両親を恋しく思い出してしまうハニバルの沈んだ気持ちを支え、元気づけていきます。川や湖などに囲まれた自然豊かな環境の中で、ハニバルは祖父の持つ散弾銃や狩りに教務を持ちますが、祖父は動物の命を尊び、遊びで狩りをすることを戒めます。祖父はハニバルを楽しませてくれるだけではなく、人生の教訓や深淵な物語を聞かせて、教え諭してくれるのです。その薫陶を受けながらも、好奇心旺盛なハニバルは、ついハメを外してしまいしくじって、身を持って祖父の言葉の真意を知ることになります。祖父ポップは、誰に対しても限りなく優しい。それは、人生の深い失望と悲しみを越えてきたからであることを、やがてハニバルは知ることになります。祖父から与えてもらった限りない優しさと思いやりは、今もハニバルの心に灯り続けています。胸に迫る追憶の物語です。

ともかくも読んでいるのが辛くて、うなだれてしまうようなエピソードが満載です。不可抗力の部分もあるとはいえ、おおよそがハニバルの短慮によるものなので、しくじった彼の心情にシンクロしていたたまれなくなります。とくに物語の前半に登場するナゲキバトのエピソードは、後にこの物語全体を象徴する連環を持ったものであることに驚かされますが、まずはハニバルの最初の大きな失敗としてかなりの心痛があります。祖父にあれだけ禁じられていた散弾銃を撃ってしまったがためにナゲキバトの母鳩を殺してしまい、そのヒナの命までも奪わざるを得ないという苦衷や、大切な友だちだった牛を注意不足から重篤な状態にさせてしまい、楽にさせるために自ら殺処分を行わなければならなかったりと、いたたまれなさが満載なのです。こうなると、色々な前振りが全部、悲しいエピソードにつながるフラグに思えてきて恐ろしくなってきます。同じ年頃の友だちのいなかったハニバルは、近所に住む二つ年上の少年、チャーリーと親しくなります。チャーリーの父親は酒浸りの素行の悪い人物で、チャーリーを虐待することもあり生傷が絶えませんが、ハニバルはその件には触れないよう接しています。チャーリーはやがて学校にも通わせてもらえなくなり、乱暴な振る舞いも多くなり、次第に悪事に手を染めるようになっていきます。ハニバルには変わっていくチャーリーを止めることができず、付き合い難く思いながらも、また自分の迂闊な行為で問題を招き寄せてしまうのです。緊迫感あふれる凄惨な物語の終局は、包み込むような祖父の慈愛によって、美しい結晶のような思い出にと変わっていくのですが、実際、人は悲しみとともに生きていくのだということを痛感させられるのです。

少年が迂闊に動物を傷つけてしまい、その罪の意識に苛まれる、物語があったなと思いながら、誰の何という作品だったか思い出せずにいます。これは、どこか覚えのある感覚で、程度は違うものの少年時代に犯しがちな過ちなのでしょう。そして、自分の残酷な行為に、生涯つきまとわれるものです。『豚の死なない日』のように、仕方がなく動物を手にかけなければならない少年の物語も思い出されますが、自分の落ち度で動物を死なせてしまうことのいたたまれなさには、後悔をもってしか報いることはできず、やり場のない気持ちに苦しむものだと思います。また、チャーリーの件のように、どうにも手を差し伸べることができないまま、半ば人を見捨ててしまうことになる友人関係もあります。そんな後悔ばかりの少年時代を積み重ねて、大人になるものですが、現実には、そこに心を慰められるようなアドバイスを聞くことはほぼないものだろうと思います。ハニバルの祖父は、慈悲と慈愛を惜しみなく誰かに与えることをハニバルに説き、その実践者として、彼の人生を支えてくれます。少年の過ちも、失敗も、温かい目で見守っていてくれる。少年が哀しみの中からも人生を生きる糧を得て、成長していく姿が描かれる理想の物語です。たいていの人の人生は、この頼もしき祖父、ポップはいないし、悲しみを乗り越えていく術を教えてくれる人もいないまま、傷ついた心を自分で癒していくしかないのだと思います。それでも、過ちを犯した人間もまた赦されるのだという、この本の存在自体が生きる支えになります。突然の不幸に襲われて家族を失うことも、迂闊に動物を死なせてしまうことも、悪の道に落ちていく友人を救えないことも、少年時代の「あるある」です。慈愛に満ちた祖父の存在だけが「ない」というのならば、自分がそうした存在になれば良いという結論に落ち着きます。いや、道は本当に遠いのだけれど、悲しみに出会うたびに近づいていく境地もまたあるとは思うのです。