出 版 社: ほるぷ出版 著 者: アラン・グラッツ 翻 訳 者: ないとうふみこ 発 行 年: 2019年07月 |
< 貸出禁止の本をすくえ! 紹介と感想>
学校の図書室からエイミー・アンの好きな本が、ある日、突然に消えてしまいました。いえ、正確に言えば、貸し出してもらうことができなくなったのです。教育委員会からの指示で貸出し禁止になった11点の本には、エイミー・アンの好きな本も含まれていました。本の内容が子どもが読むにはふさわしくないと異議申し立てを受ける制度はあります。とはいえ「うそつきや、ずるや、ぬすみのしかたを教える本」だとされたのは、あの『クローディアの秘密』なのです。他にも『マチルダは小さな大天才』や『スパイになりたいハリエットのいじめ解決法』などの著名な作品が11点には入っていたのです。サラ・スペンサーというPTA会長その他の要職を兼任する市の重要人物により、それぞれの本には子どもが読むには相応しくない理由があるとされ、貸し出し禁止になったのです。この決定に反対する学校図書館司書のジョーンズさんから、エイミー・アンは教育委員会の会議で『クローディアの秘密』がどんなに好きかを話すように依頼を受けます。しかし、自分が「だいじに思っている本」を、なんとも思っていない人に説明することのプレッシャーにエイミー・アンは言葉を失ってしまいます。貸し出し禁止は覆されることなく、図書室から本が消えました。ここからエイミー・アンの闘いが始まります。自分に本を読むことの楽しさを教えてくれた図書室の本を守る。九歳の女の子が作戦を立て、学校中を巻き込みながら、教育委員会委員会の決定を覆していく痛快な作品です。そこでは、好きな本を読みたいという子どもの気持ちと、子どもに良い本を読ませたいという大人の気持ちがせめぎ合います。実在の著名な本が沢山登場し、思わず笑ってしまうような曲解で本が姿を消していく、非常に恐ろしい警告も孕んだお話しです。
エイミー・アンの最初の一手は貸し出し禁止になった本を集めることでした。自分のロッカーに本を保管して、そこから読みたい人に貸し出すというゲリラ活動に打って出ます。次第に仲間が増え、ロッカー図書館株式会社を組織することになり、彼女は社長兼主任図書館員となります。次第に活動は大きくなっていくのですが、自ずと問題も持ち上がっていきます。『宿題ひきうけ株式会社』の興亡のように、いつか先生にもバレるものです。その先の一手が実に痛快で、来るべき最終対決に向けて駒が揃っていくあたりも、ワクワクさせられます。外連味のある物語ですが、エイミー・アンの繊細な心境の描き方も絶妙です。うっかりすると読み飛ばしてしまいそうな失意や、気持ちの変化がきっちりと盛り込まれており、彼女が本を読むことが好きになったわけや、家族への思いや、この事件を通じて成長していくプロセスが丁寧に描かれています。本好きのいけないところは、ついつい人に本を薦めたくなったり、読ませたくなるところで、エイミー・アンのウカツさに呆れつつ共感してしまうのです。おばあさんを亡くしたばかりの男の子に、エイミー・アンが『テラビシアにかける橋』を薦める場面があってヒヤヒヤしました。それが思わぬ事態を引き起こすことにもなります。登場する本の内容を知っていると更に楽しめる物語です。『マジックツリーハウス』を建築基準法違反を指摘したり、『ふたりはいっしょ』が同性愛者の生活を描いたものなんて言い出すのは笑ってしまうところですが、どんな本が登場してどんな難癖がつけられるのか、ちょっと楽しいところです。巻末には作中に登場する沢山の本のリストが付いています。ニューベリー賞の受賞作が多いですね。こうした「主人公は読書」である物語では、その国でどんな作品が名作とされているのかを知ることができます。日本では未訳の作品も多くあり、残念なところですが、翻訳刊行されているものでも未読の作品もあって、かなり参考になるブックリストでした。読まねば。
児童文学創作の合評会に行くと、物語の中で子どもが自転車に乗ってもヘルメットを被っていないとか、ここは道路交通法が守られていないとか、路上喫煙の描写は許されないとか、同性愛者が出てくるのはいかがなものかとか、そんな意見を聞くことがあります。犯罪行為だけではなく、非常に厳しいモラリティで作中人物たちの行為や存在自体に意見を言う方たちがいるのです。なので、この物語での(言葉は悪いですが)「ケチのつけられかた」は結構、あるある、なのでした。司書の方たちは実際、図書館にある本についてそうした意見を言われることもあるのだろうと想像しています。僕は、作者も気づいていない差別意識が見え隠れしている作品は気にかかりますが、犯罪行為を肯定していない限りはそれほど目くじらを立てなくても良いのではと思っています。実際、グレーゾーンのルール違反ギリギリが起死回生の逆転の一手になる物語も多いわけです。既存のモラルに縛られていては真理を貫けない時もあるので、皮一枚でセーフということもあるのではないかと。とはいえ、児童文学はこうあって欲しいと考えることは、やや偏狭であったとしても、それもまた児童文学への愛の形だとは思うのです。それぞれが抱く理想には違いがある。「見解の相違」を互いに認め合うことができれば良いのですけれどね。一方で、大人の頭ごなし、という指導が必要な時もあるかなと思わせる余白も考えさせられました。